
戸隠山の雪は、ほとんどありませんね。
みなさん、こんばんは!
「顕」のブログへようこそ、、、
お元気でお過ごしですか。
今回は、4時間、2枚組になりました。
会場に来れない人は、是非、ご視聴くださいませ。
何か、気づきが、有れば幸いです。
「無我の種」
雑念や妄想を、消そうとしている人が居ますが、
そもそも、雑念や妄想と言うモノはありません。
そう言う、類のモノではないんです。
自然な、働きとしての現れなんですよ。
自分で、起こせるモノでは無く、自然に湧いて来る「思い」であり、
それは、誰か個人のモノでは無いんです。
湧いては、消える泡のようなモノです。
総ては、生じては、滅する「生滅の法則」の真っただ中です。
「在りながら無く、無いながら在る」訳です。
雑念や妄想と言う、取り扱い方に、問題があるんですね。
そのままに、しておく事で、自然に、消えて行きますよ。

人は、二つに分けて、「良い・悪い」「好き・嫌い」「正しい・間違い」等、
と、考え方を使って取り扱う事をしたがる訳です。
何も分離などしていない事に、気づいてもらいたい訳です。
総て、それぞれが、考え方、捉え方、見方で、分けているだけです。
そのままの、在り様が在るだけですよ。
初めから、迷いようが無いように成っているんです。
憲法や、社会的ルールや道徳とは、違う訳です。
そこを、一緒にしないでくださいよ。

そう言っても、迷う時もあるでしょう。
それは、自分を使っているからです。
自分で、決める事では無いんです。
「その時」が、決めるんですよ。
あるいは「決める事」の、方から、やって来る訳です。
普段の日常生活で、自分を使っている事は、殆どありませんよ。
例えば、、、、
歩く時には、自然に歩いていますね。
もし、「右の次は、左」等と、考えたり、意識したら、歩けませんよ。
「無我」だから、歩ける訳です。
なんでも同じですね。
車の運転でも、考えたり、意識したら、怖くて事故りますよ。
日常で、自我を意識する事など、殆ど無いはずですよ。
その「無我」に、習い、教わる事なんです。
その事に、気づいて来ると、、、
「対象」が、無い事に気が付いてきます。
その様子が、在るだけで、「対象が存在して無い」んですよ。
音がしてる、、、、
香りがしてる、、、、
味がしてる、、、、訳で、、、
対象が、無いんです。
「無我」なんですよ。
この事に、気づく事が、「最良無量の豊かさ」であり、大安楽です。
このモノの活動、「無我」とは、、、、
希望の無限の可能性を秘めた「種」なんです。
如何様にも成る「無我の種」です。
本日もご訪問いただき、

是非、二人の話を聞きに来てください。
ココでしか、触れられない、気づきが在りますよ。
それでは、失礼いたします。
九八^^。