
みなさん、こんばんは!
「顕」のブログへようこそ、、、
お元気でお過ごしですか。
九八とゆみの「大阪トークライブ」DVD、
ご注文ありがとうございました。
何度も繰り返しご視聴ください。
日常生活を通じて、気づくが事が起きて来ますよ。
ゴールデンウイークが始まりました。
戸隠も昨日から、参拝者でいっぱいです。
そんな中、40代の新婚さんがお越しくださいました。
手相を拝見して、いろいろお話していて、
ふと、気が短い線が出ている事に気づきました。
「お客さん、ムカっと、したら、それで完結しているからね」
そう言うと、「そう考えればイイんですね」と言った。
そうじゃ無くて、ムカっとして、それで終わった事に気づけばいいですよ。
その事実に、気が付けば、それで終わりなんですよ。
しかし、何度言っても、「考え方」、「見方」、「捉え方」、
としてしか、理解できないんですね。
「難しい~な」「悟り?」と言いました。
お話会や、トークライブでも、同じ事を言う人が多いんですが、
どうしても、考え方や、見方や、とらえ方として、
受け取ろうとする訳です。

ましてや、こんな話を聞くのは初めての人でしょうし、
驚かれたのも、あるでしょうね。
お帰りになってから、思ったんですが、、、

ブッダの教えに、
「徳」
「仁」
「礼」
「信」
「義」
「智」
と、ある訳です。
その中で、「智」(知識、考え方)を、最下位に置いている訳です。
それに対して、西洋(キリスト教)は、全知全能として、
「智」(知識、考え方)を、最上位に置いている訳です。
その象徴が、東洋では「弥勒菩薩半跏思惟像」となり、、、

西洋では、ロダンの「考える人」となる訳です。

「思い」と、「考える」事は、まったく違い訳です。
西洋(キリスト教)では、考えが、上位であり、
東洋(仏教)では、考えは、最下位な訳です。

徳、仁、礼、信、義、智と在るように、
「徳」に入っている人は、総てが在るわけです。
しかし、「智」が、有っても、その上の義、信、礼、仁、徳には、
入れない無いと言う事です。
何が言いたいかと言うと、、、
「信」在れば、自ずと「智」(考え方)と「義」を、超えられると言う事です。
ですから、信じない、信じて無い人に、いろいろ言っても
それは、難しく、難解で、困難になる訳です。
簡単に分かる人も居ますが、、、
「信じる」と言う、力を使うことで「智」(考え方の世界)と「義」を、
自然に超えてる訳です。
信じない人は、「己見」=「自我認識」=考え方が強いと言う事ですね。
だから、それを、絶対に、手放さない訳です。

「迷い」とは、自分を使う事ですよ。
只、大いなる無我の全活動に、在る事、、、です。
本日もご訪問いただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう。
九八^^。