
みなさん、こんばんは!
「顕」のブログへようこそ、、、
お元気でお過ごしですか。
「このままで、救われていた事に、気づくだけ」
私がお伝えしている事は、皆さんの事なんです。
多くの人が、考える「救われる」と言う事は、
自分の都合通りに、総てが、叶う事だと、考えていたり、
自分の理想通りに成る事、、、。
そう言う状態を望んでいる訳です。
その為に、頑張ったり、挑戦したり、、、
それは、それで良いのですが、
その延長線上には、無いんですよ。

それは、既に、このままで、救われているからです。
そう感じないのは、「自分の都合に拘るから」です。
自我の理想に拘るから、今のこの現状が観えない訳です。
既に、起きている事が、隠されてしまうから、、、
不足、不満、不安が、いつも、つきまとう訳です。

どれだけ、理想のモノを手に入れても、満足する事は無いんです。
只、そのように成ったと言う、様子が在るだけなんです。

秦の始皇帝は、自分の理想、夢を叶えたけど、
結局は、満たされる事はありませんでした。
それは、歴史が証明している訳です。

何かに成る事じゃ無いんです。
何かをする事はじゃ無いんです。
それは、あくまでも2時的な事なんです。

既に、この現状のままで、救わてれいる事に気づく事なんです。
出来て無い事など、何一つ無いんですよ。
出来て無いと思える事が、在るだけなんです。

木の葉は、風を選んで、揺れる事はしません。
南風でも、、、
北風でも、、、
西風でも、、、
東の風でも、、、
そよ風でも、、、
強風でも、、、
自分の都合で、選り好みはしません。
その時の、その風に従い、何の問題も起こしません。
その現状で、救われている事を知っているからです。
この在り様のままで、、、。
あなたの、五感に、自我は付いていませんよ。
「思い」にも、自我は付いていませんよ。
認識後に、考えで、付けたモノですよ。
その事に、気づく事です。

耳に、尋ねてください。
「在る」、、、
「無い」、、、
何か違いますか?

お分かりでしょうか。
本日もご訪問いただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう。
九八^^。