よし、頑張って書き切るぞ!

なにぶん30~40年前の話なので、曖昧な点は 見逃して下さいませ。なにもこれで告訴しようって訳じゃないんでね(^_^;) 書こうと思った切っ掛けは、ジャニーズ問題被害告発人の皆さんの、時効撤廃運動の記事ですね。色々、思う所があり、自分でも告発の真似事に挑戦したくなりました。……かえすがえすも難産でしたけどね。……覚えてはいるんですけどねー…………


まず最初に。

受けた痴漢行為は一件じゃありません。10件近くあります。これは平均的なのか??1番古い記憶で小学生の頃。新しいのだと30代前半か。相手は女なら誰でも良いんでしょうね。私、特に美人って訳でも、スタイル良いって訳でもないもの。上中下の「下」だと思う(謙遜じゃないです)。挑発的な服やメイクしてないし、ハッキリ言って「鈍臭さ」。もしかしたら、そういうほうが狙いやすいのかな?痴漢の心境はよく分からないわ。ともかく、男性不信や接触嫌悪になるには充分な回数・内容でした。まず、1番古い記憶からいこうかな。


あれは小学生5~6年の頃でした(出だしから曖昧だよ)。3年生の時に転校しているので、そこから消去法で時期を割り出しています。半袖の体操着を着ていたので冬以外の季節。暖かかったので春か秋。夏じゃない→暑くはなかった。運動してても汗をそんなにかかなかったので……。でも昔と今は違うからなぁ。断定は出来ないですわ。当然ハッキリした日付は覚えていないです(でも実際の告訴の場合、ここが大事なんですよね?それは無理ゲー(-"-;)) 当時、家から二駅ほど離れた山奥にアスレチックの出来る運動場がありました。ちょっと歩けば山っていう環境だったんですよ。一応東京なんですけどね(東京にも山奥はある!)。 その運動場、あまり人がいなかった記憶あります。山を切り開いているから、時間帯によっては昼間でも薄暗かったしね。ちょっと遠かったのもあって、頻繁に遊びに行けなかった。でも学校の長期休暇とかに、半年に1~2回くらいの頻度で行ってた。 こう考えると、あの時は春休みだったのか?6年生の時は中学入学準備でバタバタしてたから、5年生??うーん。特定できない。まぁ、とにかく、友達と二人でそこに遊びに行ったんですよ。そこで知らないお兄さんに、声をかけられたんですよ。「知らない人について行っちゃいけません」って教えられていたけれど、今にして思えば相手は巧みだった。最初は、写真を撮らせてくれって事でした。ちょっと戸惑っていたけど、断る言葉も出なくて「どうぞ」ってかんじ。(個人情報なんてユルユルの時代です。) 遊具で遊んでいる私達を「可愛いね」とか「そのポーズ良いね」など褒めながら何枚か撮っていく内に、私達の警戒心も薄れてきました。というか、モデル気分で調子に乗り始めました。男が「場所を変えよう」と、運動場から少し離れた雑木林に誘ったときも、疑うことなく着いていきました。今思えば、人気がないとはいえ、運動場は他から見えるし、他の利用者だっていつ来るとも分からない。見えない、閉鎖的な空間に行きたかったんでしょうね。バカですね、本当。そこで被害に合うわけですが、やっぱり最初は写真を撮る事から始めてました。木に跨がったり、腰かけたりしてるうちに、服を脱いでみようと言ってきました。下に運動着着てるの、気付いたんでしょうね 。というのも、アスレチック遊具ですから、中には水を被ったり穴に潜ったりするのもある。あらかじめ汚れても良いように、運動着着込んで準備していたんです。ちなみに、その頃の運動着といえば上は半袖、下はブルマです。ブルマに変質的な愛好者が出てから禁止になるのは、もう少し後の時代。ここで拒否れば良いのに、何しろ気分はもうモデルでしたからね。疑いなく服脱いで体操着になりましたよ。そのへんからおとこの行動も怪しくなってきます。「身体、柔らかいね」とか言いながら、ボディタッチし始めたんです。褒められると調子に乗るタイプですから、喜んでヨガ的なポーズをとりました。柔軟体操みたいなこともしました。男は後ろから抱え込むように腕を回したり、足を開くように股に手を入れたりしまてきました。「えっ?」って思い始めたのは、上体そらしのポーズとるとき(もうカメラは撮っていない)。男が 両脇に手を入れて、より大きく反らせるよう補助してたんですが「せーの!」で反らすとき、脇から胸の方を掴むようにしてきたんですよ。何回か反らしてるうちに、段々手が胸の方にズレてきて、一瞬だけど最後の方は胸を鷲摑みされました。その時になって初めて「なんかおかしいな」って違和感を感じました。友達の方見ると、ついさっきまで笑顔だったのが、笑顔は消え不安そうな顔してます。声に出せずに「変だよね」って、目配せしながら伝え合いました。もう、その後からは「どうしよう」って頭の中混乱し始めて、でも気付かないふりで男の要求に応えてました。男も私達が不信感持ったのに気が付いていたでしょう。「優しそうなカメラマンのお兄さん」というフリがどんどんなくなって、命令口調になってきました。要求もエスカレートしてきました。卑猥なポーズとらされたりしました。下着ずらして、股に木の枝挟んだり、上着を胸半分出るくらいに 捲られたり……もう私も友達も泣きそうでした。でもなんとか平静を装ってました。その方が良い、と 本能的なものが有ったんでしょう。頭の中は「どうやってここから逃げようか?」で一杯でした。たぶんこの時、男が決定的な、暴力的な行動に出たら、フリなんかもう辞めて泣き叫んでパニック状態で、全力で逃げ出していたと思います。私達が二人だったのが功を要したのか、ギリギリのバランスでその場が保たれていたと思います。その時、大幸運なラッキーがきました。運動場に他の利用者が現れたんです。私達に姿は見えませんが(向こうからも見えない)声は聞こえます。子供の声と大人の声と両方だったから、おそらく親子連れと思われます。木々に隔てられているだけで、距離にしたらほんの数メートル。 男と私達は、聞こえてくる楽しげな声にしばらく(といっても数秒か?)耳を傾ける形で沈黙しました。私は「叫んで飛び出したら、あの人達に助けて貰える」と、安心感が湧きました。同時に、逃げるなら今しか無いと思いました。勇気出して友達に「そろそろ帰ろうか」と言い、友達も「帰ろう」と乗ってくれました。その後はあんまり覚えていません。ただ、逃げるようにその場を離れました。男にどんな顔で、どんな言葉で 別れを告げたのが、何か言われたか、引き留められたのか、そも別れの挨拶したのか、追いかけられたのか、もうその辺の所はほとんど覚えてません。ただ、平静を装うギリギリの所で、回りを見る余裕もなく、とにかくその場を離れたのを覚えています。振り返る余裕も有りません。友達が着いてきてくれたかも、すぐには思い至るません。次に覚えているのは、運動場のある山を下り町に出て、人や車の走る大通りに出たとき。服を着ていたので、どこかで着るタイミングが合ったんでしょうけど、スッポリ抜け落ちてます。やっと安心できる場所に出て、友達と「ねぇ、今のおかしかったよね?!」と震えながら手を取り合いました。…………その場面は周囲の光景に至るまでハッキリ覚えていますが、その後がまた、曖昧になります。友達とどんな話をして別れて、家に帰ったのか記憶無い。その夜か、数日後なのかハッキリしませんが、布団の中で姉に話したのは覚えてます。親には話してません。知らない人に付いていったのが悪いと、自分でも分かっているからです。怒られるのが怖かったんでしょうね。一緒にいた友達とも、その後話題になることはありませんでした。ただ、運動場に遊びに行くことは二度とありませんでした。またあの男に会うかも、と怖かったんです。カメラを持った男性も苦手になりました。カメラ自体も苦手になりました。今でもカメラを向けられるのが苦手です。……長くなりますが(もうなってるけど)この話には後日談が有ります。記憶の曖昧さがテーマのこの記事、大事なのはここからかもしれません。……でもちょっと休憩しますね。


書き切るぞー!