最近、悲しいことばかり書いちゃってごめんなさい。今日もまた悲しい気持ちを書いています。
流産の話からうつの話なので、体験したことのない人には気持ちはもちろんわからないだろうし・・・
ちょっと・・・って方はスルーしてくださいね。
忘れられない小さな命 ~「誕生死」への反響から~
(見逃した方再放送は
3月27日(火)午後1:20~)
↑今日さっきTVでやってましたね。アンコール放送だそうで、私は前回逃していたので今日見られてよかったです。
忘れられない 小さな命
(見逃した方再放送は
2007年3月26日(月)午後1:20~)
↑こちらは初回の放送を見てました。アンコール放送されてるみたいですね。
私にも「忘れられない 小さな命」があります。
(流産した頃の記事はココ をクリックで読めます)
今月は7月に流産してしまった私の赤ちゃんが生まれてくるはずだった月・・・
ちょうど出産予定日だった3月11日。私の大好きなおばあちゃんが亡くなりました。
なおさら忘れられない日になりました。
ブログの赤ちゃん待ちのお友達にやっと赤ちゃんが授かったとよろこんでいたら、お空に帰っていって・・・
自分のときのことをまた、強く思い出していたときに、またこのテレビ番組に出会いました。
私もそうだけど、たとえ短い間のことだったとしても、おなかの中で生きててくれた赤ちゃん。
それはまぎれもなく、私の子供。
「枯卵死」などと、たまごの死だと言われても、私の中では子供の死なんです。
流産の手術の日に看護婦さんに言った言葉・・・
「卵の死だって頭ではわかっていても、この数週間、私にとっては大事な赤ちゃんだったんです・・・」
今日TVに出てらした、7ヶ月で誕生死に向き合ったお母さんが、自分も一緒に死にたいと思ったと言われてました。
数週間おなかにいただけでも、こんなにいとおしい自分の赤ちゃんを、ましてや7ヶ月で失ってしまうなんて・・・
まだまだ心の傷は癒えていないようでしたが、わたしでさえそうなんだから、ほんとにその苦しみといったら・・・
流産や死産で「誕生死」に向き合ったお母さんたちへの心のケアというのは、充分になされていないのが現状のようですね。
体験した人でなければわからない、ほんとにほんとに真っ暗な崖に突き落とされたようなショックと苦しみ・・・
「妊娠できるってわかっただけでもいいじゃん!」
っていう言い方で励ましてくれる(?)人がいたけど、実際自分が流産してみて、そんなこと、1ミクロンも思わなかった。
妊娠する、しないじゃなくて、私は赤ちゃんを失ったんだよ!子供を亡くした母親なんだよ!!って反論したかった・・・
赤ちゃん待ちが長ければ長いほど、妊娠の喜びは大きく、また、赤ちゃんを失った悲しみはさらに大きく・・・
8ヶ月経ちますが、今でも毎日おなかにいた赤ちゃんのことを思い出します。
そして、恐怖心もあります。もしまた流産したらどうしよう・・・って。自分にもそうだし、妊娠した人に対しても大丈夫かなあって心配してしまいます。でも、そんなこと言えない。「流産に気をつけてね」なんて、縁起でもない、言えるわけないよ・・・
でも、心では思ってます。言葉では「温かくして、穏やかに過ごしてね」って伝えてます。それは「流産しませんように」っていう祈りがこめられているの。私が流産したときには、クーラーが職場ですごくかかっていたし、お姑さんのことで精神的にかなり参っていたから・・・
今は、流産を経験する前の、ただ単に赤ちゃん待ちをしていた頃とはまた気持ちが違うんです。
妊娠することがゴールじゃないってことを身にしみてわかったから。
妊娠に向けて一生懸命になっていて、妊娠したとたん、安心しすぎたのかもしれないと・・・
妊娠することはもちろん奇跡で、自分の力ではどうすることもできないのだけれど、自分のおなかの中で赤ちゃんが無事に育ってくれるっていうことも、すごく大変なことなんだって・・・
でも、かと思えば、ふと他人を見ると、いとも簡単に妊娠して、いとも簡単に出産しているように見えたり・・・
努力しても、一生懸命になっても、そうじゃない人に先をこされてしまっているようであせったり・・・
(
読んでない人はクリックして読んでほしいな)
にも書きましたが、長く赤ちゃん待ちをしていると、ほんとに精神的に参ってしまって、本来の自分じゃなくなるというか、うつ状態になってしまうんですよね。(そうじゃない人もいると思いますが)
心の中がずっとモヤモヤした状態で、なにもなくても悲しみが心の根底にあるから、ちょっとしたことでも、もうそれに耐えられなくなってるんです。
コップに水をそそぐと、いっぱいになるまでは勢いよく注いでもあふれないけど、もういっぱいなっちゃってたらあと1滴でも注がれたら、ダーっとあふれちゃうみたいに。
もう、すでに、いっぱいいっぱいなんです。
赤ちゃん待ちをしている人の心の中は。
だから、ほんのちょっとでも、もう、これ以上の苦しみ、悲しみは引き受けられないのです。
流産もそうだし、それ以外のことでもなんでもそう。
嫁姑問題もそうだし、私でいうならおばあちゃんの死だってそう。
私の心の悲しみや苦しみを入れられるコップは、ずっとあふれている状態なの。
なのに、どんどん注がれる。
生きるのに疲れるってほんとにこういうことなんだなあって思ったし、棺桶に入ってるおばあちゃんを見て、私も一緒に連れて行ってってほんとに思ったくらい・・・
今日忘れられない小さな命 ~「誕生死」への反響から~ に出ていた誕生死に向き合ったお母さんが、「今死んだら、おなかの子供と一緒に焼いてもらえるって思って、逝くことしか考えてなかった。どうやって逝こうか、そればかり考えていた」って言ってたけど、そう思う気持ちもわかります。
大きな悲しみに直面したことのないときには、自殺を考える人のことを「死ぬ勇気があるなら、なんでもできるし、その勇気でがんばって生きて!」って思ってたけど、今は、ほんとにつらいときに、もうそのつらさに耐え切れなくなって、消えてしまいたい、何も考えたくない、死んだほうが楽になれるって本気で考えてしまうことがあるってわかりました。
でも、今は、死んだらだめだってわかってるから、心配しないでね。気持ちはわかるってことを言いたかっただけ。
もしまわりに、「死にたい」って言ってる人がいたら、その人をほっておかないで。冗談でそんなこと言ってるんじゃない。
もうこれ以上、がんばらせないで。休ませてあげて。甘やかしてあげて。
さっきも書いたけど、
心の中がずっとモヤモヤした状態で、なにもなくても悲しみが心の根底にあるから、ちょっとしたことでも、もうそれに耐えられなくなってるんです。
コップに水をそそぐと、いっぱいになるまでは勢いよく注いでもあふれないけど、もういっぱいなっちゃってたらあと1滴でも注がれたら、ダーっとあふれちゃうみたいに。
もう、すでに、いっぱいいっぱいなんです
だから、ほんのちょっとでも、もう、これ以上の苦しみ、悲しみは引き受けられないのです。
なにが言いたいのかわからない、病的な日記になってしまいました。ここまで読んでくれた方ありがとう。
気持ちがわからない人ももちろんいると思います。私も前はそうだったから。でも、そういう人はスルーしてくださいね。