生まれてくる命がある。

消えいく命もある。


私の考えすぎなのかもしれないから、今日の記事はいやな人はスルーしちゃってください。


親戚とかで考えてみたときに、誰かが死んで、誰かが生まれる。

例えば、義弟のお嫁さんのお母さんが亡くなって、次の年に義弟に赤ちゃんができたり。

いとこに赤ちゃんが生まれて、半年後そのおじいさんが亡くなったり。


偶然なんだろうし、ちょうどそういう時期なのかもしれないけれど、「生」と「死」が入れ替わり立ち代わり・・・


ひょっとして、命って、数が決まっていて、どこかで誰かが死んだら、どこかで誰かが生まれるっていうふうになってるのかなあ・・・

枠があるのか・・・・???


とさえ思えてきます。


おじいちゃんもおばあちゃんもずっとずっと長生きしてもらいたい。

でもどんどん赤ちゃんにも生まれてきてほしい。


結婚して両家の親戚の数が増えたから単純にそうなのかもしれないけど、お葬式に行くことも、出産祝いをあげることも、どちらも多くなった気がします。

私がそういう年頃なのかもしれないけど・・・


でも、ほんとに、もう、誰にも死んでほしくないのです。

結婚してから、毎年誰かが亡くなるのが、自分の中ですごくストレスになっています。

結婚した年には主人のおばあちゃん、私のひいおばあちゃん。

翌年には主人のお父さんが膵臓癌で亡くなり、翌年義弟のお嫁さんのお母さんが膵臓癌で亡くなり、私のおばさんが突然亡くなり・・・

お葬式や法事がたくさんありました。


そして、今、私のおばあちゃんが癌で入院しています。

もう手術もできない、末期だと先生から言われたそうです。

大好きなおばあちゃん。

いつもしてもらうばかりで、なんにもお返しできてない。

赤ちゃんも見せてあげられてない・・・

おばあちゃんに抱っこしてもらいたかったのに。

今すぐ妊娠しても生まれてくるのは10ヶ月も先だし・・・

どうかそれまで生きていてほしい。


でも、もし、私の赤ちゃんが生まれてくるための条件におばあちゃんの死があるのだとしたら、私は赤ちゃんはいらないとさえ思ってしまう。


今日の私はへんです。気分を悪くしたらほんとにごめんなさい。

おばあちゃんになにをしてあげられるか・・・ そんなことばかり考えてしまいます。

お医者さんじゃないから、なにもできない、なにもわからない自分がもどかしいです。

できることといえば、マッサージをしたり、つぼを押すこと・・・くらいで、アロマテラピーをしてあげています。

おばあちゃんがいなくなるなんて、もう、会えなくなるなんて、絶対にいやだ。


死というのは、ほんとに、きついです。怖い。


赤ちゃんの誕生というのはとても喜ばしいことです。

その反面、誰かが死んでいくというのは、それがたとえ「常」であるとしても、今の私には到底受け入れられない。


「生」と「死」

グルグル回ってるってわかっていても、「死」は怖い。


ちょっと前に、「死にたい」と思うくらい、心が病んでしまっていたけど、こうして誰か大切な人が死ぬかもしれないとなると、「どうか生きていて」って切に願うものです。生きたくても生きれない人がいる中で、死なないでほしいって思ってくれる人がいる中で、「死にたい」なんて、思っちゃダメだってすごくすごく思います。今なら。