銀が泣いている、ベストアンサー
大正二年四月六日 東京・築地倶楽部で開かれた「阪田七段歓迎会」。
その席上、関根金次郎八段と対局した香落ち戦。
56手目、△8五歩を▲同銀と取ったあたりからが『泣き銀』の局面。
阪田三吉の談話
「その時自分は▲二五銀といふ手を指した。その銀は進退谷(きわ)まって出た銀だった、出るに出られず引くに引かれず斬死の覚悟で捨て身に出た銀であった、ただの銀ぢゃない、それは阪田が銀になって、うつ向いて泣いてる銀だ、それは駒と違ふ、阪田三吉が銀になってゐるのだ、その銀という駒に阪田の魂がぶち込まれてゐるのだ、その駒が泣いてゐる、ナミダを流してゐる。
今までわたしは悪うございました、強情過ぎました、あまり勝負にあせり過ぎました、これからは決して強情はいたしません、無理はいたしません、といって阪田が銀になって泣いてゐるのだ、この一番を負けたら、何年かの苦心が泡と消える、スゴ/\と旗を巻いて退却しなければならぬ、何でも勝ちたいと、思ってあせった末さういふ手が出たのだった、根が強情なものだからやはりさういふ・・・」
※▲二五銀は▲8五銀のこと
昭和四年、大阪朝日新聞の小倉敬二記者が『将棋哲学』と題して書いたもので、名セリフ「銀が泣いている」の出所になりました。
この勝負は格付にやかましかった当時の先例を無視して『一番手直り』の申し合わせ。
阪田が勝てば、宿敵・関根との手合いを平手に持ち込める大一番でした。
対局して16年も経ってからの文章なので、やや美化されているような気もしますが、空を切った銀の無念さが言わせたセリフ、この一番にすべてを賭けた阪田にして初めて言えるセリフかと思います。
以上、阪田三吉血戦譜(2) 東公平著(大泉書店)を参考に・・・というかほとんど丸写し。
いや、お恥ずかしい。
【補足】
大正四年四月三日、柳澤保惠伯爵邸で行われた井上義雄八段戦。
先手・阪田のなかなか捌けない6六銀を指して『泣き銀』とする別説があります。
