一人目
http://www.pref.saitama.lg.jp/uploaded/attachment/597737.pdf
①渋沢栄一
この人はあまりにも有名ですよね。
渋沢栄一(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日) - 1931年(昭和6年)11月11日)は、幕末から大正初期に活躍した日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父といわれる。
書籍も多く、「論語と算盤」は代表的で、埼玉県の深谷市出身の埼玉を代表する偉人。
第一国立銀行は今でいう
‘みずほ銀行‘
銀行には当初より設立に際して銀行番号が付与されており、渋沢栄一の作った第一国立銀行は興銀などの合併も経てイマはみずほ銀行がその一番の地位を維持しております。
ちなみに、同時期に銀行を作った岩崎弥太郎といえば、
三菱財閥。
三菱銀行の付与番号は5番です。どうしても渋沢栄一よりも目立つ岩崎弥太郎に注目が集まりますが、国の資本主義経済発展という崇高な目的で事業を始めた渋沢栄一の理念は本当に凄い!
~番号という所で補足事項~
銀行の行名で、数字が付与されているのは、設立時に付与された番号に起因します。
例えば、長野方面を主力にする八十二銀行は82番が付与番号です。
二人目
http://www.pref.saitama.lg.jp/uploaded/attachment/597706.pdf
②塙保己一
こちらは知らない人も多いかも知れませんが、歴史の教科書にはひっそりと名前が出てきます。
「盲目の国学者」
としての記載が有名です。
塙 保己一(はなわ ほきいち、延享3年5月5日(1746年6月23日) - 文政4年9月12日(1821年10月7日))は、江戸時代の国学者。幼名は丙寅にちなみ寅之助(とらのすけ)、失明後に辰之助(たつのすけ)と改める。また、一時期、多聞房(たもんぼう)[1]とも名乗る。雨富検校に入門してからは、千弥(せんや)、保木野一(ほきのいち)、保己一(ほきいち)と改名した。『群書類従』『続群書類従』の編纂者である。
武州児玉郡保木野村(現在の埼玉県本庄市児玉町保木野)に生まれる。塙は師の雨富須賀一の本姓を用いたもので、荻野(おぎの)氏の出自。近世に帰農した、百姓の家系であるという。父は宇兵衛、母は藤木戸村(現在の加美郡木戸村)の名主斎藤理左衛門家の娘きよ。弟卯右衛門(うえもん)。
少し隠れエピソードを語ると、
3難を乗り越えたとされるヘレン・ケラーは、幼少時より「塙保己一を手本にしろ」と両親より教育されていて、1937年に来日した際、記念館を訪れているというから、正にすごい人です。
世界的に有名なヘレン・ケラーもお手本にした、百姓の家計から学者になった出世を成功したまさにシンデレラボーイです。
三人目
http://www.pref.saitama.lg.jp/uploaded/attachment/597708.pdf
③荻野吟子
こちらも初めて知った人もいるやも知れませんが、俳優の大沢たかおさんと綾瀬はるかさんが主演された‘仁‘というドラマで、綾瀬はるかさんが演じた役のモデルになったと言われている人です。
荻野 吟子(おぎの ぎんこ(本名:荻野ぎん)、1851年4月4日(嘉永4年3月3日) - 1913年(大正2年)6月23日)は、近代日本における最初の女性の医師である。女性運動家としても知られる。
[編集]1851年(嘉永4年) - 武蔵国幡羅郡(はたらぐん)俵瀬(たわらせ)村(現在の埼玉県熊谷市俵瀬、2005年9月30日までは大里郡妻沼町大字俵瀬)に、代々苗字帯刀を許された名主の荻野綾三郎、嘉与(かよ)の五女(末娘)として生をうける。
元々当時より、日本の社会は男に有利な社会で女性の医者というものは認められておりませんでした。
そんな中で御茶ノ水女子大学の第一期卒業生として、また日本初の女性ドクターとして活躍されたのです。
気付くと埼玉三大偉人はどうも、埼玉の県北に多い様です…。
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