今日、10月2日は父の誕生日です。
生きていれば96歳です。
(戦後の動乱?で戸籍が変わったそうです)

亡くなって25年が経ちます。

元•零戦搭乗員でラバウル→台湾→厚木で雷電に乗り換えて本土防空任務で終戦。

驚くことに戦後すぐに🇺🇸のG.W.Universityに経済を学びに留学し、
米軍占領下の沖縄へ。通訳や進駐軍向けの新聞の編集仕事をした後、
沖縄企業の戦後復興へのコンサルティング業をしていました。

お得意先企業は今や超有名な
『A&W』『ピザハウス』『Jimmy’s』
そして当時もJAL傘下だった『南西航空』だったそう。

僕は、父が46歳の時に生まれました。

この写真は、現存する世界でただ1機、オリジナルのエンジンを積んだ復元機です。
わざわざ🇺🇸のネバダ州まで見に行った時のもの。

父は僕を航空自衛隊へ就職させたかった夢を持ってましたが、僕は何故か音楽の道へ😅

でも僕が演奏家として生活出来るようになってから本番を聴いてもらったのは一度もありません。。。

聴いてもらったのは唯一、僕の高校の卒業式での式典演奏。
(卒業する側も演奏に乗れた👍)

その前日リハーサルも聴いて、
「ほう、俺は今まで『指揮者ってのは音も出さないのに何をしてるんだ』と思ってた。おそらくギャラも高いんだろう(笑)、でも納得したよ。リハーサルで的確な指示を出さないと『工事現場で怪我人が出る』訳だな。皆が一斉に勝手な仕事させない為の現場監督か!」と。

この例えには
僕も当時の指揮者(現在タッドウインドの鈴木孝佳先生)も本当に驚きました。


そんな父は25年前に脳幹ヘルニアで急逝してしまいました。

本番はその時の1度しか聴いてもらっていませんが、父の形見の腕時計⌚をいつもして舞台に一緒に上っています。

今日も富山市での本番、一緒に舞台に乗ります。

親父さん、お誕生日おめでとう㊗