以前ブログに書いたブログのネタメモ。

あれを消費していこうと思います。

(参照→ http://ameblo.jp/cornissimo/entry-10902118250.html  )



目が見えない人、の話。


この前の帰り道、りんかい線大手町駅で乗り換えるときに、目の不自由な方を見かけました。

杖をついていたから分かったんですが、若い男性でした。


帰宅時間だから、駅はすごい数の人でごった返しています。

彼ももちろんその中を歩いていくわけです。


私はなんとなく心配になって、後ろからさりげなく見ていたんですが、


全く問題ありませんでした。


ぶつかられることもぶつかることもなく。

杖がなければ「目が見えない」ことは端から見たら分からないだろうなと思いました。



武蔵野台のオリジンでバイトをしていたとき、お客さんに目が見えない人がいました。

けっこうよく来るおじさんなんだけど、その人すごいんだよー!

私は身近に目が見えない人っていたこと無かったから、直接接したのはその人が初めてだったんだけど。


まず、レジに並ぶ。

前にお客さんがいると、きちんと間隔を空けて。

一人分前に進むと、その人も一人分進む。


並んでる人がいなくなると、レジにやってくる。

ちょうどいいところで止まって、お弁当を注文する。

「○○円です」って言うと、お財布からお金を出して(お札だけじゃなく小銭も)、ちょうどいいところに置く。

「○○円のお返しです」っておつりを差し出すと、私が手を伸ばしたちょうどいいところに手を出して受け取る。

そして、人がいないところに行って立って待ってて、出来上がったお弁当を渡すときも、ちょうどいいところに手を差し出して受け取る。

自動ドアの押すところを押して、帰っていく。



この一連の動作が、もう自然すぎるのですよ。


こちらが気をつけるのは、「こちらの番号でお待ちください」ではなく「○○番でお待ちください」って言うことくらい。


目が見えている人となんら変わらない動きをしていて、その人がなにか不便を感じているような様子は見たことがありませんでした。



初めてお会いしたときはかなり感動しました。


なんか・・・すごいなって。


例えば私が目をつぶってたら、絶っ対にできないなと思って。


そのときに、「「障害」というのは人が持っているんじゃない、社会に「障害」があるんだ」っていう言葉はこういうことかなと思ったんだ。


目が見えないことは、「障害」だろうか。

彼は、普通に生活できているじゃないか。

彼にとって、目が見えないことは障害だろうか。


例えば、カメレオンから見たら、人間が体の色を変えられないのは「障害」だと思うかも。

人間からすれば、いや別に体の色を変えられなくても生きていけますがな、って感じだけど。

(変な例え。w)


何が言いたいかって。

自分たちにはある何かを持っていない人は「不便を感じているはず」であってそれは「障害だ」とする、そのものさしは間違いなんじゃないかってこと。


そういう人が生きにくい「世の中」に問題があるんじゃないかってこと。



もちろん、先天的じゃない場合は話が違ってくるのかなと思うけど。

例えば私が明日視力を無くしたら、かなり不便を感じながら生きなければならないのは必至ですから。



人間って、「異質なもの」を差別するじゃないですか。

いわゆる「障がい者」の人たちも、差別の対象になってしまっていると思います。


でも、私が彼らを見て抱いた気持ちは「尊敬」。

目が見えないのにあんだけ動けるって、信じられないですよ。すごすぎる。

目が見える私たちよりずっと優れた何かを持っているんだろうなと思ったんです。



こういうのを、誰かに伝えたかっただけ。