久々の更新です。復活しました。



地震以来いろんなことがありすぎて、書きたいことはたくさんあったんですがなかなか時間が取れませんでした。



地震のとき、私はトルコにいました。


トルコ旅行の4日目でした。

ドライブインのテレビで、津波の映像が放映されていました。

ものすごいショックでした。

映画みたいな、日本じゃないみたいな映像。現実だとは信じられなかった、信じたくなかった。


日本の災害を海外で知るということがこんなに不安でつらいものだとは思いませんでした。



震災から感じたことがいくつかあるので、備忘録も兼ねて書いておこうと思います。


1、多くの人が働いてくれているからこそ、社会が回っているということ。

震災で電車が動かなくても、知り合いと連絡がとれなくても、放射能が怖くても、悲しくて不安でも、

大人の人たちは働いている。


私は、余震が怖い、物資が無い、停電、報道を聞いていると辛くていろんなことのやる気がおきない、

とかで、とりあえず帰省し、とりあえず引きこもってました。


募金したお金が赤十字に届くためにも、たくさんの人たちが関わって、働いているのですね。

郵便局、運送、電気、IT、通信、電車、、、


なんていうか・・・これまで(恐れ多くも)社会貢献度合いはそれほど高くないと思っていた職種・業界。

縁の下すぎてあんまり気づけていなかった職種・業界。


それに比べて自分といったら。

なんにもぜずにいるんだなぁ、と。

「こんな時期に、何もする気がおきない」ってみんなが言ってたら、経済は急落してみんな食べていけなくなっちゃう。


働いている人たちはみんな、働くことで、社会に貢献している。


こんな当たり前のことに改めて気づかされました。

そして、私も早く働きたいと強く思いました。



2、人間は弱くなったなぁ、ということ。

世の中が便利になるにつれ、人間の体は弱くなっているんじゃないかと。

停電で感じました。


エスカレーターが動いてないと、すごく不便に感じますよね。

でも、ちょっと前までは自分の足で階段を上り下りするのが当たり前だったはず。


夏にも停電があるということで、「冷房が無いと授業にならないから、今のうちに補講をやって夏の授業を減らす」という先生がいるそうです。うちの大学で。

でも、冷房が無いと授業にならないか?

中学高校のときはそんなの普通だったよ。

夏は暑いもの、冬は寒いものだよね。(もちろん極端な場合は除くけど、授業くらいはできるよなーって。)


生活が便利になるにつれ、「これが無いと生活に困る」というものがどんどん増えている気がしました。



3、人間って、誰かのせいにしたがるのかなぁ、ということ。


原発事故って、東電だけが悪いんでしょうか。


今日の新聞で、東電や東電社員への嫌がらせや苦情が過熱しているという記事を見ました。


原発を作ったのは、日本人が(たぶん特に都心の人たちが)電気を使いすぎて、供給が追いつかなくなったらからなんじゃないんでしょうか。

明るすぎるネオン、娯楽のためのイルミネーション、家庭での無駄遣い。

今までこういったものを享受しておいて、

今までは何の文句も言わなかったくせに(もちろん最初から反原発の人もいたと思います)、

何かあったときだけ「お前らのせいだ」っていうのはどうなのかなと思います。


「「計画停電で電車が送れ、腹が立った」という自称日雇い労働者の男性が本社の敷地内に小石を投げ込んだ。」

どんな事情があったのか分からないけど、これって完全に自分の都合ですよね。


もちろん、東電の責任である点もあると思います。管理がずさんだったとか。

でも、問題の種を作ったのは私たちみんななんじゃないかなと、そう思うんです。


とりあえず誰かのせいにして不満をぶつけたい、自分のことは棚にあげて。


そんなふうにはなりたくないと、思いました。たとえ非常時であっても。



4、

私は国際協力の仕事がしたいと思ってきました。

このように思うようになった心の動きが、震災で被災した人たちに対するものと似ているなと思ったんです。


被災地で苦しみ、悲しんでいる人がいる

その事実を聞いているだけだと「気の毒だなぁ・・・かわいそう」くらいの気持ちだけど、

例えばテレビで、家族をみんな亡くしてしまった幼い子の話を聞いたりと、もっと一人ひとりに焦点を当てた苦しみを聞くと、いてもたってもいられない気持ちになる

その上、「原発被害」は人災であり、私たちにも責任があるように思えてならない(3で書いたように)

自分が恵まれた生活をして楽しんでいることがなんだか申し訳なくなってくる

なんでもいいから、自分になにかできることはないか、と強く思う



この「被災地」を「貧困国・紛争国」に換えると、そのまま私が今まで持ってきた気持ちになるんです。


貧困国の貧困、紛争国の紛争は、私たち(先進国)にも責任があります。

例えば安いコーヒーを買うことによって、貧困なコーヒー生産労働者の生活をより一層苦しめるのに一役買っているわけで。


これまで、「国際協力の仕事をして、世界で苦しんでいる人の力に少しでも良いからなれたら」、

なんて思いは、きれいごとにしか聞こえなくて、なんだか恥ずかしかったんですよね。


震災で被災した地域や人たちに対して、「苦しんでいる人たちのために何かしたい」って思った人、たくさんいると思うんです。もちろん私も。

「あ、これと一緒だな」

と。、ふと思いました。という話。




ほかにもいろんなことを感じ、考えましたが、最近思っているのはこんなようなことです。


感情移入する性格だし、ものすごい心配性であるので、

報道を見るたびに涙がとまらずものすごくつらい気持ちになります。


でも、「しょげてたらいかん!」と思うようになりました。


生きている、この命を大切にしながら、

がんばろう!


まずは景気を良くしないとね!

景気が悪いままじゃ、被災地の復興も進まなければ、被災者の職も生まれない。


がんばろー!がんばろーニッポン!^^