いつからだろう、学校に行くことが嫌になったのは。小学校二年生の時に物のはかり方を学ぶ授業で「ミリリットル(mL)」の「ミリ(m)」を「1000分の1」(1/1,000)ではなく「ミル」と思い込んで「100分の1」(1/100)と覚えて親に怒られて「cc(立方センチ)で統一すればいいのに!」と言ってまた親に怒られて、

小学校三年生から服装や言葉遣い、立ち振舞いで色々な人達から注意されるようになって、小学校の時に暑い中で大勢の人達に見られている中で指示された動きをしないといけないのが嫌で化粧室で “おうと” をしたり、マラソン大会が寒い中で長い時間、長い距離を連続して走り続けるのが嫌だからとまた化粧室で “おうと” をしたり、

自動車教習所で発進を習得する教習でアクセルを踏むのが浅く長くて「加速が遅い!」と教官に怒られて「加速が速かったら危ないじゃないですか!」と言って喧嘩になって、判子を押してもらえなかったり・・・。


昔のコンピュータゲームというのは本当に厳しくて「F-ZERO」(1990)はリトライして回数が規定を超えたら最初からやり直しになったり、「スーパーマリオランド2 6つの金貨」(1992年)はリトライ回数の規定を超えてゲームオーバーになったら集めてきた金貨が全てロストして最初からやり直しになったり、

プレイステーションの「エースコンバット1」(1995年)は墜落したら機体を失って再度買い直さないといけなくなったり、「エースコンバット2」(1997年)は墜落したら機体の修理費を支払わなければいけなかったり、「レイジレーサー」(1996年)はリトライを4回したらゲームオーバーになって最初からクラス別のレースをやり直しにされたり、スーパーファミコンまでの「女神転生シリーズ」(1987年~)はプレイヤーが倒されたら所持金を半分支払ってやり直しにされたり、ゲームボーイの「ポケットモンスター」(1996年~)も自分の手持ちが全て倒されたら所持金を半分支払ってやり直しにされたりしていた。

時代が変わって「龍が如くシリーズ」(2005年~)もプレイヤーが操作しているキャラクターが倒されたら所持金を半分にされてやり直しにされたりしていた。


1990年代ならアーケードゲームがあって、

2000年代ならオンラインゲームがあって、

自分以外の目が入ったことに対する影響の広がりが存在するからだろう。

アーケードゲームなら商品を含んだ回転率に影響が出るからだし、

オンラインゲームならサーバーやシステムに対する負荷に影響が出るからだろう。

自明の理ではあると思うけれど。


その影響を抑えるにはプレイヤー個人の内部に存在するための「収録率」が必要になるのだと思う。アーケードやオンラインの運行に影響が出ない範囲を見積り算出して設定していくのが重要になるだろう。


それがRPGなら「特定のストーリーラインに沿っていなかった」とか鉄道のシミュレータなら「正常な運行ダイヤを乱した」と言われるようになるので安全係数や安全率の設定が必要だ。ゲームを15分プレイしたいと思ったら、リトライを五回することを考えて90分空けた状態にしてからゲームをプレイするように・・・。


最近のゲームの中には安全率や安全係数をギリギリに設定してあるのがあってそれを見ていると「もっと針や文字盤が大きい時計を買ったらいいのにね」と筆者は考えてしまう。