少し遅れて植え付けられたひまわり。
7月でもまだ苗状態だった。阪神尼崎駅前中央公園芝生広場
項垂れる十月のひまわりはみな
今年の市民祭りはここではなく、市役所横の橘公園で6日に開催された。出かけたかったが行けなかった。
私には出来栄えは乙クラスに見える。
ひまわりが日本に入って来たのはいつであろう。
幕末か、明治初頭か。
ウィキペディアの「ヒマワリ」の項の、歴史の部分:
ヒマワリの原産地は北アメリカ大陸西部であると考えられている。既に紀元前からインディアンの食用作物として重要な位置を占めていた。1510年、スペイン人がヒマワリの種を持ち帰り、マドリード植物園で栽培を開始した。マドリード植物園はダリアやコスモスが最初に栽培されたことでも有名である。
ヒマワリがスペイン国外に持ち出されるまで100年近くを要し、ようやく17世紀に至りフランス、次にロシアに伝わった。ロシアに到達してはじめて、その種子に大きな価値が認められた。
正教会は聖枝祭前の6週間を大斎とし[4]、食物品目の制限による斎(ものいみ)を行う。19世紀の初期にはほとんど全ての油脂食品が禁止食品のリストに載っていた。しかしヒマワリは教会の法学者に知られていなかったのか、そのリストにはなかったのである。こうした事情から、正教徒の多いロシア人たちは教会法と矛盾なく食用可能なヒマワリ種子を煎って常食としたのであった[4] 。その後、19世紀半ばには民衆に普及し、ロシアが食用ヒマワリ生産の世界の先進国となったのであった。
ならば蕪村や一茶に例句があってもいいはずだが。17世紀に日本に伝来しても庶民が庭に植え付けるようにならないと句材にはなりにくい。
問題は、何と呼んでいたかである。
ヒマワリ(向日葵、学名:Helianthus annuus)はキク科の一年草である。日回りと表記されることもあり、また、ニチリンソウ(日輪草)、ヒグルマ(日車)、ヒグルマソウ(日車草)、ヒマワリソウ(日回り草)、サンフラワー(英:Sunflower)、ソレイユ(仏:Soleil)とも呼ばれる[1][2][3]。
「日輪」で検索 みつからない。
なかぞらに逝かぬ日輪草矢射る 鷲谷七菜子
これは、「日輪」と「草矢射る」がつながっただけ。
日車や喧嘩でこいと軍鶏鬨す 中勘助
阪神尼崎駅の西出屋敷方面へつづく商店街の端にある演劇場
三和商店街というのもあるはず
今は午前の部が終わって閉館中のよう
夕方にもう一公演があるよう。
↓商店街の中の和食堂。私が座った目の前の風景
帰りにバスに乗車すると、珍しく、車いすが途中駅からのものを含めて2台乗車。
他にも手押し車を押す人も複数。
2台の車椅子が下車した後、私も途中下車。庄下川沿いに遊歩道を写しながら帰宅。
↑のあたり土手側の石垣が綺麗。
まったく無人ということはない。
生島橋から上生島橋までは土手上から川面へしだれた桜が諸所にある
桜の頃には人出も増えるが、夙川の1000分の1であろう。
上生島橋を越えて(潜って)北へ向かうと石垣の草が目立つ
↑の範囲ではハゼランが圧倒的に多い。
ハゼラン(爆蘭、米花蘭、学名: Talinum crassifolium、英: coral flower)はハゼラン科の多年草で、鑑賞用に栽培もされるが、現在は多く野生化している。
南米原産で日本には明治時代にもたらされた
芭蕉、蕪村、一茶はもちろん、子規や虚子も知らなかったと思う。「爆蘭」では例句見つからない。
ハゼランの別名:
- サンジソウ(三時草)
- サンジカ(三時花)
- ハナビグサ(花火草)
- コーラル・フラワー[3]
- 米花蘭
- サンジノキコウシ(三時の貴公子)
- ホシノシズク(星の雫)
- エドノハナビ(江戸の花火)
- ヨヨノホシ(夜々の星)
- オシンソウ(おしん草)
- 星月草
- 三時の天使