カラスノエンドウ↑↓ 花が咲き始めた。

庄下川沿いにもごく普通にみられる。しかし「庄下川の生物相」の調査報告の植物107種の中にあがっていない。一覧表をながめていると「ヤハズエンドウ」というマメ科ソラマメ属

の植物が挙がっている。

ウィキペデイア:

ヤハズエンドウ(矢筈豌豆、Vicia sativa subsp. nigra[1])はソラマメ属越年草。ヤハズエンドウが植物学的局面では標準的に用いられる和名だが、カラスノエンドウ(烏野豌豆)という名が一般には定着している(「野豌豆」は中国での名称)。俗称としてシービービーというものもある。種を取り払った豆柄を笛として使用する遊びに由来する。

 

また一つ「正式の」植物名を学んだ。ヒメリュウキンカ、ノアサガオともども上記の一覧表から

学んだものも多い。

今年はまだ確認していないが、アレチハナガサも覚えた。

去年、武庫川の土手でいっぱい咲いているのを画像紹介。しかし他の名前でUPしたように

思う。きつねのなんとか の名で。

 

去年の誕生日前後のマイ・ブログを見ていると、ヤマツツジが満開である。

今年は(台風の影響もあるのか)

10階建て新築マンションの南側道路沿いの植え込み。

例年より遅れている気配だが、やはりこの時期には咲いている。

この付近では、西宮の広田神社の参道のミツバツツジが有名。2万株だとか。そこのつつじ祭りは4月の第2の土日らしい。

冬桜・八重桜通りのカンザクラ

他の桜は、ソメイヨシノが満開にならないと咲き始めない

↓ノボロギク

襤褸といえば、伊丹三樹彦の襤褸買いの句は私の愛唱句

陸奥の国襤褸の中に星座組み 高野ムツオ 鳥柱
 
正月も襤褸市たちて二十日かな 村上鬼城
 
櫨ちぎる襤褸のごとくに枝にすがり 向野楠葉
 
襤褸ほぐすごとく鹿尾菜を干しゐたり 森田 峠
 
陸奥の国襤褸の中に星座組み 高野ムツオ
 
この土のどこから襤褸どこから皮膚 水島洋一
 
豆摘める襤褸の母を目にのこす(単身上京) 細川加賀 『傷痕』
 
秋風の襤褸曳き荷役声たてず 小林康治 『玄霜』
 
露光る襤褸の妻となりしかな 小林康治 『四季貧窮』
 
火口湖の襤褸とよりて凍藻あり(箱根五句) 『定本石橋秀野句文集』
 
襤褸市や大学芋の金色に 辻 桃子
 
鮟鱇の襤褸の中の骨太し 能村登四郎
 
マネキンの案山子にされて襤褸まとふ 村井信子
 
正月も襤褸市たちて二十日かな 村上鬼城
 
ぼろ市の襤褸の何でも生みだして 笹尾照子
 
襤褸市は曇りて雨の甲斐秩父 尾崎紅葉
 
達観の案山子の襤褸は見ずにおく 衣川次郎
 
世の襤褸絶えしこの世に破れ芭蕉 橋本 榮治
 
帰省の荷襤褸の如く届きけり 吉武紀代子
 
世の襤褸絶えしこの世に破れ芭蕉 橋本榮治 麦生
 
蛸提げて襤褸の如く若布負ひ 福田蓼汀
 
声高に襤褸もち出づる女正月 源義
 
蛸提げて襤褸の如く若布負ひ 蓼汀
 
この土のどこから襤褸どこから皮膚 水島洋一
 
鰯雲くづれは雲の襤褸なる 上田五千石
 
貧血の鶏血石や襤褸市に 日原傳
 
水母浮く絹の襤褸をひるがへし 辻美奈子
 
八月を襤褸のごとく脱ぎにけり 石嶌岳
 
一瞬のわれは襤褸や揚雲雀 中尾壽美子
 
ハンカチを襤褸にしても還らざる 櫂未知子 貴族
 
汐干潟襤褸の妻子を引き具して 小林康治
 
春あさし葦原に焚くは夢の襤褸 寺井谷子
 
一日の襤褸にうづもり祖母の秋 小原菁々子
 
雪吊に雪が絡めば雪の襤褸 田村了咲
 
大つぶの寒卵おく襤褸の上 飯田蛇笏(1885-1962)
 
襤褸市曇りて雨の甲斐秩父 尾崎紅葉
 
遊行寺やボロ市の襤褸ぼろぼろな 辻桃子
 
鮭のぼる肉の襤褸のあかあかと 小檜山繁子
 
一瞬のわれは襤褸や揚雲雀 中尾寿美子
 
詩書くや襤褸の中の春夜人 竹下しづの女
 
東京やさびしき襤褸のたまるなり 松本恭子
 
揚雲雀身より襤褸は解き放る 小檜山繁子
 
啓蟄にひろげし襤褸をまたしまふ 小檜山繁子
 
山茶花に入日の襤褸四十代 小檜山繁子
 
襤褸袷赤大名の曼珠沙華 久保田万太郎 草の丈
 
手を拍って戻す西日の襤褸買を 伊丹三樹彦 人中
 
襤褸市の日をためてユダ洗ふ桶 有馬朗人 天為
 
蚤と寝て襤褸追放の夢ばかり 竹下しづの女句文集 昭和二十五年
 
大年や襤褸のごとくに雲の垂れ 久保田万太郎 流寓抄
 
東京の上の冬雲襤褸のごと 松本たかし
 
襤褸市や羽影すぎゆく春の鳶 石田波郷
 
啓蟄の襤褸から鼠パスツール