アフリカン・マリーゴールド。

フレンチと一緒で、アフリカとかフランスとは関係ない。

高性種ともいえない。もちろん矮性種ではない。中性種といったところ。

フレンチ・マリーゴールドはもっぱら矮性種で息長く秋の花壇を飾っている。

私が園芸を始めた頃、40年以上前でも、ビオラやパンジーと並んで一般的であった。

ジニア、なでしことの寄せ植え

 

なでしこはもう終わり。

 

市の緑化植物園の外周↑

西門へのアプローチ前の歩道は拡幅された。何故?

緑化植物園は開園、閉園時間がある。ただしアプローチ周辺は門の外側である。

倒木の後片付けはほぼ終わった

アプローチの両側にはインパチエンスが群植されている。

 

両側の花を一枚の画像に撮るのはむつかしい

ハロウィンでは1句

ハロウィンのかぼちやが笑ふウィンドウ 吉原文音

「かぼちゃ」では0

「南瓜」では

先生に南瓜の記あり南瓜蒔く 木村蕪城
 
放蕩のはじめに金糸南瓜あり 高野ムツオ 鳥柱
 
切火まづ大南瓜より冬至寺 赤坂邦子
 
まだ母に冬至南瓜を切る力 大庭星樹
 
だれよりも神父が食ひぬ南瓜汁 綾部仁喜
 
雁坂の関所の址の大南瓜 遠山陽子
 
したたかに秩父南瓜の地を這へり 佐川広治
 
南瓜ならびて積まれ益子焼 中戸川朝人
 
砂を這ふ南瓜の花に島の雨 今井千鶴子
 
伊那訛やさし南瓜の花に霧 大岳水一路
 
舟小屋のうしろ日蔭の花南瓜 上村占魚
 
日向海鳴りすでに南瓜の花盛り 穴井 太
 
蔓引けば思はぬところ大南瓜 筒井 淳介
 
又の名を提灯南瓜ともいへり 是木 ゑみ
 
南瓜より西瓜の花の小さかりし 池田 歌子
 
雨の日は咲かぬものらし花南瓜 芦川 巣洲
 
移り住み南瓜の花を咲かせけり 三宮 美津子
 
学校の理科の授業の南瓜蒔く 天野 逸風子
 
本送る底荷の冬至南瓜かな 黒田杏子
 
とらはるることなく南瓜蔓伸ばす 本宮鼎三
 
木喰佛ごろりごろりと南瓜かな 上井みどり
 
平和論竹巻き締めて南瓜育つ 飴山 實
 
磯へ這ふ強き南瓜の夜明けかな 佐藤鬼房
 
南瓜煮てやろ泣く子へ父の拳やろ 磯貝碧蹄館
 
砂を這ふ南瓜の花に島の雨 今井千鶴子
 
山里の朝のかがやき花南瓜 村田 脩
 
見捨てられ雨の南瓜の花小さし 菖蒲あや
 
満月を南瓜の花が揚げにけり 川崎展宏
 
南瓜に大いに余り星月夜 波多野爽波 『骰子』
 
牛小屋の牛が貌出す花南瓜 柴田白葉女 『朝の木』
 
冬至南瓜とろりと甘し齢延ぶ 高橋利雄
 
南瓜一つ供へて神の留守 小川木久江
 
南瓜こぼれ種とは思はれず 本橋美和
 
南瓜の葉紙か何かのごとく踏む 山口誓子
 
朱の南瓜われ太陽のごとく描く 山口青邨
 
スーパーの切り売り南瓜よく売れる 菱田トクエ
 
日々名曲南瓜ばかりを食はさるる 石田波郷
 
南瓜煮て田舎料理は山盛に 斉藤葉子
 
古墓や南瓜の肌は粉をふきて 中村草田男
 
南瓜郵便局に飾られて 楢原清子
 
とらはるることなく南瓜蔓伸ばす 本宮鼎三
 
我が南瓜ひき臼程になりにけり 高浜虚子
 
老農のいつも独りや花南瓜 仲佐方二
 
母の鍬いつも戸口に花南瓜 伍賀稚子
 
咲き初めて雄花ばかりや花南瓜 河本遊子
 
南瓜馬車の世馭者の世は遠し 鷹羽狩行
 
隣より蔓返されて花南瓜 林 民子
 
舟小屋のうしろ日蔭の花南瓜 上村占魚
 
狂女死ぬを待たれ南瓜の花盛り 西東三鬼
 
南瓜咲く徒花ばかりにぎやかに 右城暮石
 
冬至南瓜鳩尾あたりくぐりけり 東 竹を
 
とつときの冬至南瓜の据りかな 吉岡葉家子
 
冬至南瓜戦中戦後鮮烈に 田中和子
 
かち割りて冬至南瓜の鬱金かな 小林京子
 
餡届き南瓜の届き冬至かな 川原道程
 
刃を当てられ冬至南瓜の力むなり 檜 紀代
 
一人居の南瓜スープの濃くなりし 姉崎蕗子
 
黄落の厩舎南瓜の馬車が出る 堀 敬子
 
南瓜ごろごろ働き者の妻の畑 杉浦嘉太郎
 
南瓜蔓家庭菜園ひとり占め 清水博之
 
雁坂の関所の址の大南瓜 遠山陽子
 
笑いころげる鉈割り南瓜打ちわつて 石塚真樹
 
南瓜煮てやろ泣く子へ父の拳やろ 磯貝碧蹄館
 
日々名曲南瓜ばかりを食はさるゝ 石田波郷
 
鶺鴒がたたいて見たる南瓜かな 一茶
 
朗々たる南瓜の花に巻かれ棲む 中村和弘
 
灯台の道に這い出て花南瓜 梅本しげ子
 
這ひ出でて田水に乗れり花南瓜 荏原京子
 
南瓜咲く徒花ばかりにぎやかに 右城暮石
 
南瓜蒔く水捌けのよき場所選び 鈴木豊子
 
二月尽く遥けき国の南瓜食ひ 斉藤淑子
 
甘薯南瓜土間にまろばす一茶の忌 根岸 善雄
 
冬至とて南瓜嫌ひも食はさるる 下村ひろし
 
病食に冬至南瓜のゆたかなり 吉澤卯一
 
姉逝きて冬至南瓜の残されし 木下和香子
 
日々名曲南瓜ばかりを食はさるゝ 石田 波郷
 
いちにちの重さ加へし南瓜あり 和田 祥子
 
厨より声して南瓜切れといふ 小野 喬樹
 
朝の粥南瓜が窓の日を攀づる 桂樟蹊子
 
臍繰りに似し菜園や南瓜蔓 石塚友二
 
敷藁に雑魚寝してをり田の南瓜 三輪 静子
 
南瓜蔓もどして小径通りけり 五十嵐春男
 
葉鶏頭南瓜の蔓につかまれぬ 中村秋晴
 
地を這へる南瓜の蔓や魂送り 佐々木六戈 百韻反故 初學
 
冬至南瓜しくりと割れば妻の国 松本旭
 
冬至南瓜戦中戦後鮮烈に 小高和子
 
いづくにか在りたる冬至南瓜切る 皆吉爽雨
 
この家の厄神何ぞ南瓜煮ゆ 今村俊三
 
南瓜這ひのぼりたる寺の屋根 中川宋淵
 
南瓜煮てやろ泣く子へ父の拳やろ 磯貝碧蹄館
 
日々名曲南瓜ばかりを食はさるる 石田波郷
 
もてなさる南瓜粉を噴き黄の大輪 大野林火
 
南瓜叩いていづれも絶対譲らぬ顔 加藤楸邨
 
梁上に貯へてある南瓜かな 深川正一郎
 
書屋いま取穫の南瓜おきならべ 山口青邨
 
朝な朝な南瓜を撫しに出るばかり 日野草城
 
積雲の崩えがちに南瓜実りたり 臼田亜浪
 
 

 

ツワブキが咲き始めた。いつのまにか冬が目前に。

 

秋薔薇(あきそうび)

紫雲という品種らしい。↑

↓サンクチュアリ―

多分伊丹市が作出地である。

小学校の時、同級生に寺西という人がいた。彼氏かも。薔薇園主の子ということだった。

↓のようなHPを見つけた。

 

きっと誰もがもう一度、会いたくなる。寺西さんの人柄を表現するのに、この言葉は決して過言ではないはずだ。この世界で知らない人はいないであろう、日本を代表するバラの育種家の一人、寺西菊雄さん。近年までは、日本のバラ専門ナーセリー(育種業者)であるイタミ・ローズ・ガーデン(Itami Rose Garden)の園主を務めていた。
  温かく優しいまなざしに、太い芯が一本感じられる堂々とした佇まい。会話をすればするほど更に彼を知りたくなる。そんな彼のバラ人生に迫ると、バラへ愛を注ぐ人は沢山いても、バラからこんなにも愛を注がれている男はいないかもしれない。そんなことさえ感じる。

寺西菊雄氏
寺西菊雄氏   こんな画像を見ても私の知っている寺西君かどうかは分からない。

新伊丹駅のバラロード

 イタミ・ローズ・ガーデンを退職し、今はご自宅でバラを楽しむ生活を送っている。寺西さんにもゆかりのある新伊丹の駅前には小さなバラ園があり、駅から街へと続いていく一本道には、真っ直ぐのびるバラロードがある。5月になると彩り豊かなバラ達が満開に咲き誇る。
 新伊丹駅から程近い鈴原小学校内にも、寺西さんもそのデザイン等に携わったというバラ園があり、今回はこのバラ園でお話を伺うことができた。小学校に通う学童だけではなく、近所の人にとってもそこが憩いの場となっていたのが大変印象的であった。新伊丹に来ると、彼自身や彼のバラの世界が街全体からも愛されていることが分かる。

 

私が卒業した小学校は伊丹南小学校。

その時にはまだ鈴原小学校はなかった(はず)。

 

伊丹市立鈴原小学校(いたみしりつ すずはらしょうがっこう)は、兵庫県伊丹市御願塚(ごがづか)六丁目にある公立小学校

当校児童の6〜7割が西側の鈴原町南鈴原地区から通ってくる。分離元の伊丹市立南小学校も当校と同じ御願塚にあり、両校は400m程度しか離れていない。

 

1970年代前半の創立である。

 

ただし私の記憶では、私の学年だけでなく、寺西姓の生徒がかなりいたように思う。

 

同級生で覚えている姓は、河石、北川君など

河石君は兄貴が複数いて東大生だった。

北川君の父親は三菱電機の診療所所長であった。

泊口という変わった名の女生徒がいた。神戸女学院へに合格したので覚えている。