潮騒を空に集める紫苑あり 高野ムツオ 蟲の王
 
紫苑咲きその日の如く虚子旧居 酒井句浄
 
蓼科は紫苑傾く上に晴れ 木村蕪城
 
藍甕の機嫌がよくて紫苑晴 平井洋子
 
阿蘇夜明霧の紫苑に馬を出す 中西碧秋
 
倒れたる紫苑に蝶も蜂も来る 上田 幸子
 
高々と咲きし紫苑に月かゝる 篠原 穂積
 
挿しそへて紫苑は月に消ゆる花 後藤比奈夫
 
山の雨くればよろこぶ紫苑かな 宮岡計次
 
紫苑の穂ゆれる帆船揺れるかに 堀 葦男
 
仮住みの淡き交はり紫苑咲く 今井千鶴子
 
日曜朝寝の男らに晴れ高紫苑 古沢太穂
 
裏庭の廃材紫苑は高く枯れ 阿部みどり女 『雪嶺』
 
紫苑ゆらす風青空になかりけり 阿部みどり女 『微風』
 
丈高きことが淋しく花紫苑 遠藤梧逸
 
紫苑にはいつも風あり遠く見て 山口青邨
 
仮住みの淡き交はり紫苑咲く 今井千鶴子
 
抽んでて紫苑の高さありにけり 清崎敏郎
 
この雨や紫苑の秋となりし雨 加藤楸邨
 
紫苑咲く今年かぎりに造成地 金堂豊子
 
紫苑咲く昔と同じ友の家 萩原まさえ
 
山晴れが紫苑切るにもひびくほど 細見綾子
 
露けぶるむらさき捧げ紫苑立つ 松本たかし
 
露地の空優しくなりて紫苑咲く 古賀まり子
 
新涼や紫苑をしのぐ草の丈 杉田久女
 
夫には夫の恋の札あり歌かるた 市川紫苑
 
この雨や紫苑の秋となりし雨 加藤楸邨
 
嫁くと決め素直に柿をむいてをり 市川紫苑
 
鍬一打土より起こす秋の声 市川紫苑
 
庭畑は紫苑月夜の飛騨泊 有働 亨
 
石垣の上に紫苑と兜屋根 瀧 春一
 
鎌倉や紫苑畠に寺の影 有働 亨
 
ゆく雲に紫苑はものをおもふ花 新井 英子
 
沈む日の沁みては紫苑また澄めり 藤原たかを
 
紫苑高し山田につづく製材所 渡邊千枝子
 
日に月に腰折れ紫苑ゆれとほす 馬場移公子
 
島びとの暁の合掌紫苑立つ 加藤春彦
 
紫苑淡し病みては慕情秘むべきか 宮津 澪子
 
獅子衣装干して紫苑の軒低し 海野ふさ子
 
露地の空優しくなりて紫苑咲く 古賀まり子
 
丈高きことが淋しく花紫苑 遠藤梧逸
 
古妻も唄ふことあり紫苑咲き 橋本花風
 
颱風の紫苑もつともあはれなり 石塚友二
 
山晴れが紫苑切るにもひびくほど 細見綾子
 
紫苑といふ花の古風を愛すかな 富安風生
 
頂きに蟷螂のをる紫苑かな 上野泰
 
紫苑にはいつも風あり遠く見て 山口青邨
 
まどろむやさゝやく如き萩紫苑 久女
 
紫苑瑠璃空遠く離れけり 蛇笏
 
新涼や紫苑をしのぐ草の丈 久女
 
 
紫苑揺れをれば鎌倉憶はるる 西村和子 かりそめならず
 
ペダル踏む穂芒を過ぎ紫苑過ぎ 西村和子 かりそめならず
 
紫苑咲く子は素直に寝ねられず 田中裕明 花間一壺
 
天命を待ちくたびれて枯紫苑 塚本邦雄
 
馴れすぎぬ女と住みし紫苑かな 長谷川かな女
 
雨の紫苑倒るゝことを忘じをり 長谷川双魚
 
道のべに船揚げてある紫苑かな 水原秋桜子
 
立ち枯れて久しくなりし紫苑かな 高浜年尾
 
尼寺の木戸に錠なし咲く紫苑 永方裕子
 
蓼科は紫苑傾く上に晴れ 木村蕪城
 
病むひとに紫苑の高さ枯れしまま 安東次男 裏山
 
この壺を最も好む紫苑さす 富安風生(1885-1979)
 
人々に更に紫苑に名残あり 高濱虚子
 
門柱に紫苑の丈も競ひ立ち 吉屋信子
 
いちめんの紫苑やあわき握手して 澁谷道
 
みどり女忌紫苑水屋に横たへて 蓬田紀枝子
 
山晴れが紫苑きるにもひゞくほど 細見綾子
 
紫苑ゆらす風青空になかりけり 阿部みどり女
 
大き入日紫苑とすすき抱き枯るる 松村蒼石 雪
 
紫苑咲く夕闇農の庭乾き 中拓夫
 
山晴れが紫苑きるにもひゞくほど 細見綾子 桃は八重
 
顧みねば子とあそぶ妻紫苑の辺 下村槐太 天涯 下村槐太全句集
 
うち晴れし空ある如く紫苑挿す 後藤夜半
 
挿しそへて紫苑は月に消ゆる花 後藤比奈夫 花びら柚子
 
病家族あげて紫苑に凌がるゝ 石田波郷
 
この壺を最も好む紫苑さす 富安風生

ハルジオンが姿を消すとシオンが花を付け始める。

シオンは背が高くなりすぎするし、花も派手さに欠けるために、都会ではめったに見ない。

 

 

美作で、いつも通る道の傍の家の庭にはかならずといえるほどこの花が群れている。

 

スモーキーツリー

 

 

木槿はすでに落花を地面に落としてる

 

東富松川沿いの遊歩道。人一人ようやく通れる幅。

魚道には水が溢れている

この辺り、河川整備の対象になっていた。

ここからは北への道は塞がれてる。よって川沿いを歩くことはできない。

工事が完了したばかりの区域である。

 

橋の名は明和橋。明和という地区名があったのか?その名の幼稚園が傍にある。

川からそれるとすぐ富松神社の参道が見える。

燈籠には安政2年の年号が読める。

この参道の前の道が有馬道であったと思っている。

一定の距離がある参道としては尼崎では一番立派。

但し右には中層集合住宅、左に個人住宅がならぶ。

参道は大正年間に整備されたようだ。

 

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  一間社春日造り柿葺〔こけらぶき〕で、隅木はない。当社所蔵の古文書「福松寺記録」によれば棟札があったらしく、「牛頭天王〔ごずてんのう〕棟札」の写しには寛永13年(1636)とあり、様式から推測してもこの時期の建立としてよかろう。向拝頭貫〔こうはいかしらぬき〕は虹梁〔こうりょう〕形、先端を象鼻〔ぞうばな〕とし、組物は連三斗〔つれみつど〕、中備〔なかぞなえ〕には蟇股〔かえるまた〕、主屋とは海老虹梁でつなぐ。主屋の頭貫は梁行方向のものは木鼻〔きばな〕としており、背面突出のものを象鼻としているには珍しい。四面に蟇股を入れ、極彩色を施す。妻組は虹梁大瓶束〔たいへいづか〕。軒はいずれも一軒〔ひとのき〕。屋根の箱棟の上に千木・勝男木はない。内外陣の境は3か所に小さな板扉を設けるが後補で、浜床も現在は撤去されている。細部の様式はこの時代の特徴をよく示す。1968年(昭和43)に県指定文化財となった。

執筆者櫻井敏雄
福本都治

「願主 大坂住 何某」と記された珍しい狛犬  文化〇年と読める。〇の数字は読みにくい。

 

本殿背後の樹林は囲まれて中を望めない。

 

塀の中に3棟の土蔵のような建物がある。

 

巨木大木は見当たらない。

樹林の裏を流れる川はしじみが取れそうなくらいの清流。ただし3面張り。

神社の裏門を出て、富松城跡へ行く途中に、旧家跡が放置されている。一反はある。

 

屋敷跡を囲む流れも炊事に使えそう

富松城跡の東側の家も建物は新しくなっているが旧家の気配

城跡と言へど炎暑の石ひとつ 大木あまり 火のいろに
 
常夏の城跡に咲く花デイゴ 川村甚七
 
城跡へ狭田を重ねてうつぼ草 富安風生
 
城跡を廻りて出会ふおいらん草 山根きぬえ
 
城跡や大根花咲く山の上 正岡子規
 
城跡の後段に黍の穂立かな 広田寒山
 
城跡に住む人々に月今宵 高浜年尾
 
城跡の一段高し蕎麦の花 雅因
 
城跡に誰住む人や紙幟 塔間釣月
 
城跡やそこここ暗き蝉の穴 羽部洞然
 
城跡の阿騎の埴踏み青き踏む 大橋敦子
 
城跡の荒れ果てゝ虫の名所かな 寺田寅彦
 
城跡の岡に上るや夏の月 寺田寅彦
 
城跡に児童館ありチユーリツプ 吉屋信子
 
萩こぼつ千松うどん城跡に食う 橋本夢道 無類の妻
 
城跡の一段高し蕎麦の花 雅因 五車反古
 
城跡や古井の清水まづ訪はん 松尾芭蕉
 
城跡や古井の清水先(まず)問はむ 松尾芭蕉