
↑尼崎市内の遺跡等を示した概念図であるが、概ね訪問済みであるが悉皆的であるかというとまだ5~6か所は画像に収めていないところがある。
尼崎の神社所在地 66か所

尼崎神社案内からコピー インク文字をクリックすれば、各神社名が分かる。
これもおおむね訪問済みだがまだ5社程度未訪問先があるように思う。50社辺りまでは正確に数え上げていたが、
それ以後は正確には記録していない。
道意神社や松島神社などはごく最近初訪問した神社
十九神社や船詰神社は未訪問神社
住吉神社のように初めてと思って出かけてみると以前に来たことがあることを思い出す神社もある。
大井戸公園を1周した。2haはあると思うが、3haあるかどうか。
大井戸古墳がある。
かつては墳丘に登ることが出来たが、今は緩やかな縄張りで侵入を禁止している。大葉の蔦で円墳全体が覆われている。
この角度からだと円墳であることが分かる。
春夏秋冬古墳の謎を秘める蔦 紫香
と読める。 平成になってからの建立。
これは俳句ではなく川柳である。紫香さんは多分川柳作家であろう。
大井戸公園は尼崎の薔薇公園 130種2000本と案内にある。

日本はバラの自生地として世界的に知られており、品種改良に使用された原種のうち3種類(ノイバラ、テリハノイバラ、ハマナシ)は日本原産である。
古くバラは「うまら」「うばら」と呼ばれ、『万葉集』にも「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」という歌がある。『常陸国風土記』の茨城郡条には、「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」とある。常陸国にはこの故事にちなむ茨城(うばらき)という地名があり、茨城県の県名の由来ともなっている。
江戸時代初期に、仙台藩の慶長遣欧使節副使・支倉常長が西洋からバラを持ち帰った。そのバラは、伊達光宗の菩提寺の円通院にある光宗の霊廟「三慧殿」の厨子に描かれたため、同寺は「薔薇寺」の通称で呼ばれるようになった。
江戸時代には職分を問わず園芸が流行ったが、バラも「コウシンバラ」「モッコウバラ」などが栽培されており、江戸時代に日本を訪れたドイツ人ケンペルも「日本でバラが栽培されている」ことを記録している。また、与謝蕪村が「愁いつつ岡にのぼれば花いばら」の句を残している。
ノイバラの果実は、利尿作用があるなど薬用に利用された。
大井戸公園の薔薇園は、正面入り口付近の東分区と、公園の西端を流れる浜田川をまたぐ西分区からなる。
その間に児童公園、運動場、それを取り巻くように林がある。
黄菖蒲園
運動グランドに面して見事な実成りを見せる栴檀の木が一本ある。
今は花盛り
逸れ球の行方栴檀の花盛り
西分区の薔薇
マツバウンラン
公園正面入り口へのアプローチ
ここまではボランティアの手が回らない
阪急武庫之荘駅前ステーションロード
やたら焼きそばのいい匂いがする。横は焼き肉店だった。




































