里山は父祖の墓山茸山

墓の下の道は国道である。それを旧の出雲街道としているが、元の街道は、

川の向こう側(南側、山裾)を通っていた。

 

墓に供える花はいつも↓で買う

 

姉妹店が箕面にもある。数か月に一度はMrs K夫婦のどちらかが来ているよう。

2度ほどでかけたことがある。

 

 

 

墓山からは吉野川沿いの田圃がみえる。

橋から数えて(東から数えて)3つ目の田圃は、他のものよりかなり広い。

後から聞くと、3反5畝あるそうである。

10数件ある我が町の我が街区の広さ。その3反5畝を含んで橋から西へ数えると9枚の田がある。

そのすべては昨年までは、市か、県か、国土交通省か、そのすべてが歩合制で借り上げて、

洪水後の護岸工事の機器、土砂置き場として利用していた。その1年は農作業は不可能で、

計算式があって補償を受けたようである。

Mrs K宅がすべてを所有しているのではなく、3反5畝の田の他2枚、計3枚を耕している(ハズ)。

この部屋は千客万来。小皿の上に物がセットされる前に一枚。

当日接待役は、3歳児と0歳児の面倒見ながらの作業。ありがとよ。

いつも後からこの部屋へ登場の従姉は、

居所を替えてしまった。

蕺草干す作業受け継ぐ三逮夜

ドクダミ干すのは従姉の仕事であったように思う。

 

大きないい栗が大量に採れるよう。

 

玄関前

農作業を中断してのMr k に遠慮して今回はUraCafe 方面の見学は辞退。

今回の美作行では親戚巡りはここだけにして2夜は蛍との付き合い。

恋蛍内緒話はそこそこに