学名:Prunus lannesiana Wils. cv. Kawazu-zakura
カワヅザクラの原木は、伊豆急河津駅から天城山へ向かって1.2kmの地点、河津町田中の飯田氏宅の庭にあります。2014年(平成26年)現在、樹齢約60年、樹高約10m、樹巾約10m、幹周約115cmです。
河津桜の由来 河津桜の原木を、河津町田中の飯田勝美氏(故人)が1955年(昭和30年)頃、偶然発見したさくらの苗を、現在地に植えたものです。1966年(昭和41年)から開花が見られ、1月下旬頃から淡紅色の花が約1ヶ月にわたって咲き続けました。
伊東市に住む勝又光也氏は1968年(昭和43年)頃からこのサクラを増殖し、このサクラの普及に大きく貢献されました。一方、県有用植物園(現農業試験場南伊豆分場)は、賀茂農業改良普及所、下田林業事務所(現伊豆農林事務所)や、河津町等と、この特徴ある早咲きサクラについて調査をし、このサクラは河津町に原木があることから、1974年(昭和49年)にカワヅザクラ(河津桜)と命名され、1975年(昭和50年)には河津町の木に指定されました。
カワヅサクラは早咲きオオシマザクラ系とヒカンザクラ系の自然交配種と推定されています。
原産地では1月下旬から約1か月咲いているようである。
自宅から1キロ余、尼崎市から伊丹市へ越境した地にある、笹原公園。伊丹市の地区公園か近隣公園のはず。市のHPでは、笹原公園は近隣公園。ただし同時に防災公園で、
備蓄倉庫や井戸やかまども用意されているとか。
防災施設の方には目がいかなかった
天気も良く、幼稚園と小学校1クラス分以上の幼児とその親で桜の下はいっぱい。
この公園でも立金花の植え込みをみた。
この公園のすぐ近くに車塚公園という名の公園がある。古墳の跡かどうか知らない。
車塚は町名でもある。
その公園にギンヨウアカシアがある。この方が近所のものよりは樹齢はながい。
ほぼ満開。
ギンヨウアカシアは、俳句では(でも)ミモザとして詠まれる。
ニセアカシアは、俳句では(でも)アカシアとして詠まれる。
アカシアの花は黄色。だから葉の色合いで、銀葉アカシアと呼ばれるのであろう。
ただし俳句でアカシアと詠まれていれば、白い花を思い浮かべねばならない。
白い花をニセアカシアと。詠む句もあるはず・・。検索。・・・なかった。
同じようなことが「ダチュラ」でも生じている。
↓今日のご近所のミモザ
こちらの方は8分咲きの感じ。
徒歩5分ほどのところにある造園屋さんの家の前の川沿い。(川は東富松川へ流れ込む)
パンジーやビオラには今日あたりの気温が最適。20度を超えると勢いが止まる。
かなりの距離に渡って、吊りコンテナを提供・管理なさっているよう。
市から表彰状か感謝状を受理されているであろう。
花のビオラの例句はなかった。
- パンジーの吹かるる余韻なかりけり 行方克己 知音
- パンジーの小さき花束わたす役 行方克己 無言劇
- 女教師の日記パンジー咲くことも 石谷秀子
- パンジーの花びらめくれ風のまゝ 安藤 寿胡
- パンジーの顔上げて咲く風の中 満田春日
- パンジーの畑蝶を呼び人を呼ぶ 松本たかし
- パンジーの仔熊の顔に似たりけり 森田 峠
- パンジーが日を七色に振り分つ 本杉桃林
- パンジーの黒き瞳にある嘘すこし 田川信子
- パンジーの風のとりこになりゐたり 高岡周子
- パンジーの群れて一つの強き黄に 吉村玲子
- パンジーがこちら向くから涙拭く 近藤三知子
- パンジーの瞳を前にきしむ椅子 岡本まち子
- パンジーに光あつまる花時計 中島みちこ
- パンジーの瞳の前にきしむ椅子 岡本まち子
- 大部屋の箱のパンジー犇ける 百合山羽公
- パンジーやここの家の子知つてをり 今井千鶴子
- つきささるやうな照明パンジーに 岸本尚毅 舜
- パンジーの中に光るは箒の柄 岸本尚毅 舜
- パンジーのくすくす笑ひ止まらずよ 西村和子 かりそめならず
- パンジーが咲き横浜は好きな町 西村和子 窓
- パンジーのつむり寄せあふ木絶かな 西村和子 夏帽子
- パンジーや大きな犬の首を抱く 依光陽子
- パンジーの花弁拡げつ陽にま向き 小川濤美子
- パンジーのほとりの帽子掛暮るる 飯田晴
- パンジーを植ゑて俄に風殖やす 冨田みのる
- パンジーの紫ばかり金の芯 平野桑陰
- パンジーのくすくす笑ひ止まらずよ 西村和子
- パンジーが咲き横浜は好きな町 西村和子
- パンジーの吹かるる余韻なかりけり 行方克巳
- パンジーの小さき花束わたす役 行方克巳
- パンジーを貌と見てゐる西東忌 辻田克巳
- パンジーに妻が放てる水曲がる 攝津幸彦
- パンジーの子熊の顔に似たりけり 森田峠 避暑散歩
- むつまじき吾が老父母にパンジーなど 赤城さかえ