呂尚(りょ しょう)は、紀元前11世紀ごろの古代中国・周の軍師、後に斉の始祖。
なんとなんと太公望さんは、神武天皇より古い時代の人である。
日本ならそれより1300年後の人でも卑弥呼などといういやらしき中国(発音)名でしかl固有名詞は残っていない。
姓は姜、氏は呂、字は子牙[2]もしくは牙[3]、諱は尚とされる[4]。軍事長官である師の職に就いていたことから、「師尚父」とも呼ばれる[3][注 1]。
謚は太公。斉太公、姜太公の名でも呼ばれる。一般には太公望(たいこうぼう)という呼び名で知られ、釣りをしていた逸話から、日本ではしばしば釣り師の代名詞として使われる[5]。
歴史上重要な人物にも拘らず、出自と経歴は数々の伝説に包まれて実態がつかめない存在である[4]。殷代の甲骨文に呂尚の領国である斉の名前は存在するものの、周初期の史料に呂尚に相当する人物の名前を記録したものは確認されていない[6]。
『史記』斉太公世家では、東海のほとりの出身であり、祖先は四嶽の官職に就いて治水事業で禹を補佐したとされている[4][7]。一族の本姓は姜氏だったが、支族は呂(現在の河南省南陽市西部)や申(現在の陝西省と山西省の境)の地に移住し、土地名にちなんだ呂姓を称したという[4][3]。元は屠殺人だった、あるいは飲食業で生計を立てていたとする伝承が存在する[2][3]。
また周に仕える以前は殷の帝辛 (紂王) に仕えるも帝辛は無道であるため立ち去り、諸侯を説いて遊説したが認められることがなく、最後は西方の周の西伯昌 (後の文王) のもとに身を寄せたと伝わる[8]。周の軍師として昌の子の発 (後の武王) を補佐し、殷の諸侯である方の進攻を防いだ[9]。殷を牧野の戦いで打ち破り、軍功によって営丘(現在の山東省淄博市臨淄区)を中心とする斉の地に封ぜられる[10]。
営丘に赴任後、呂尚は隣接する莱の族長の攻撃を防いだ。『史記』によれば、呂尚は営丘の住民の習俗に従い、儀礼を簡素にしたという[7]。営丘が位置する山東は農業に不適な立地だったが、漁業と製塩によって斉は国力を増した[4]。また、斉は成王から黄河、穆稜(現在の湖北省)、無棣(現在の河北省)に至る地域の諸侯が反乱を起こした時、反乱者を討つ権限を与えられた[11]。死後、丁公が跡を継いだ。呂尚は非常に長生きをし、没時に100歳を超えていたという[11]。
しばしば呂尚は部族集団の長とみなされ、周と連合して殷を滅ぼした[12]、もしくは周軍の指揮官として殷を攻撃したと解される[4]。呂尚が属する姜氏は周と婚姻関係があったと推定する意見もある[4][13]。
春秋初期に強国となった斉は、自国の権威を高めるために始祖である呂尚の神格化を行った[14]。呂尚の著書とされる『六韜』と『三略』は唐代に重要視され、731年に玄宗によって呂尚と前漢の張良を祀る太公廟が各地に建立された[15]。760年に粛宗から武成王を追贈され、太公廟は武成王廟と呼ばれるようになり[15]、文宣王孔子とともに文武廟に祭祀された。明の時代に入ると、洪武帝は周の臣下である呂尚を王として祀るのは不適当であるとして、武成王廟の祭祀を中止させた[15]。
ここまで読んでも「太公望」の望の意味が分からない。
池の傍の叢
笹やカラスノエンドウの葉に、何匹もテントウムシ。
- 天道虫だましの中の天道虫 高野素十
- まづとまりゆつくり天道虫となる 廣瀬ひろし
- 高原の青より知らず天道虫 梶山千鶴子
- 天道虫けふは寝墓に来てねむる 大島民郎
- 石かかへ天道虫の動かざる 稲田 眸子
- 翅わって天道虫の飛びいづる 高野 素十
- 台風の目の中天道虫を掌の平に 前田秀子
- 星を点じ天道虫は印象派 北澤瑞史
- 拳(て)ひらくとき天道虫に飛ぶチヤンス 津田清子
- 掌より翔ち美濃のどこ指す天道虫 加倉井秋を 『風祝』
- 天道虫生れまだ翅を思ひ出せず 加倉井秋を 『欸乃』
- 愛しきれぬ間に天道虫掌より翔つ 加倉井秋を 『真名井』
- 飛んでまたその葉にもどる天道虫 金堂豊子
- 天道虫登りきつたる草の先 則武知子
- 愛しきれぬ間に天道虫掌より翔つ 加倉井秋を
- 天道虫母に土産と差し出す子 岡本一代
- のぼりゆく草細りゆく天道虫 中村草田男
- 背の星割りて飛び翔つ天道虫 畠山節子
- 天道虫ふるれば飛ばず落ちにけり 五十嵐播水
- 天道虫人の歩みにうづくまる 渡辺桂子
- 宿命の星を背負ひて天道虫 佐藤信子
- 天道虫だまし悪気のなかりけり 大竹朝子
- 天道虫北の星座を背負いくる 冬館子音
- 天道虫その星数のゆふまぐれ 福永耕二
- 天道虫剪み切りしを夜も悔ゆ 軽部烏頭子
- あはれこの廃墟にはやも天道虫 有働 亨
- 子の指を発つ天道虫梅雨晴れむ 岡田 貞峰
- 飛ぶ構へ見せては風の天道虫 黒岩 五月
- 草引きて天道虫をさまよはす 立花豊子
- 天道虫その星数のゆふまぐれ 福永 耕二
- 天道虫玻璃を登れり裏より見る 津村貝刀
- 天道虫バイブルに来て珠となりぬ 酒井鱒吉
- 天道虫羽をひらけばすでに無し 立木いち子
- 砂こぼし砂こぼし天道虫生る 小林恵子
- 愛しきれぬ間に天道虫掌より翔つ 加倉井秋を
- 老松の下に天道虫と在り 川端茅舎
- 天道虫天の密書を翅裏に 三橋鷹女
- 菅笠を拾へば紐に天道虫 藺草慶子
- 玩具より玩具らしくて天道虫 和田耕三郎
- 黄金週間天道虫の自転せり 日原傳
- 天道虫防弾ガラス下りてくる 大石雄鬼
- 僧俗のへだたりにあり天道虫 石嶌岳
- 天道虫天の密書を翅裏に 三橋鷹女
- かがやかに擬死ほどきけり天道虫 島谷征良
- 天道虫牧羊神の忘れもの 諸岡直子
- 翅たたむ天道虫の紋合ひて 富安風生
- 天道虫雫のごとく手渡しぬ 野見山朱鳥
- 天道虫間一髪を飛びにけり 奥坂まや
- 天道虫その星数のゆふまぐれ 福永耕二
- 背の星割りて飛び翔つ天道虫 畠山節子
- 老松の下に天道虫と在り 川端茅舎
- 天道虫間一髪を飛びにけり 奥坂まや
- 天道虫翅をたたまず石舞台 小島千架子
- 帽子新調天道虫にけふ会へり 村越化石
- 愛しきれぬ間に天道虫掌より翔つ 加倉井秋を
- 羽出すと思へば飛びぬ天道虫 高濱虚子
- 並木にまぎれた 記憶の末端 天道虫 伊丹公子
- 手から手へ天道虫を渡しけり 岡田史乃
- 天道虫南大門の空に消ゆ 原田喬
- 天道虫その星数のゆふまぐれ 福永耕二
- 帽子新調天道虫にけふ会へり 村越化石
- 天道虫星負うて神ほろぶなし 井沢正江 以後
- 愛しきれぬ間に天道虫掌より翔つ 加倉井秋を
- 翅すこし割りてとざしぬ天道虫 京極杞陽
- 天道虫は妻にも見せし後放つ 富安風生