万緑を楯として暮れる神の谷

 

と記した句碑に雪が降り積もっている画像が今朝ワイフのスマホに送られてきた。

(添付ファイルで送られてきた画像を、このブログ画面に張り付けたいができない。)

 

この句碑披きの折、参加者のワイフの運転手役で、いっしょに武蔵の里、西粟倉村へ出かけた。

 

作者はこの句碑を、檀家寺であり、私の親戚が住職を務める同じ村の寺に建立したかったが、

その種のものを一杯並べる寺に反感を持っている住職に断られ、自分の生家の庭に建立した。(住職とはこの件につき話をしたが、住職の持論に反抗したり、宥めたりする発言はしなかった。私のいつもの姿勢である。)

 

運転手も式典・祝賀会への参加を認められ、記念句会にも参加した。

 

ホトトギス系の句会ゆえに、俄か勉強で、口語俳句を歴史的仮名遣いに翻訳、

翻訳に自信がないので、披講役を仰せつかっているワイフにご指導を願おうかと思ったが、

それでは私の句がワイフにバレてしまうので、「そうな」は「さうな」でよかろうと判断、

 

飛びさうな斎主の合羽青葉谷

エゴの花百を灯して剣士の像

 

など(3句出句だったが残り1句は失念)を出した。

 

驚いたのは、披講役のワイフが披講を始めるや否や、イの一番にこの句を読みあげた。

一瞬、20数人(ワイフ以外はすべて初顔)の参加者が皆、私を見つめているような気がした。

すぐに(2,3秒遅れで)伝統俳句系句会は「名乗り句会」であることを思い起こし、かすれた声で「ショウちゃん」と名乗りを上げた。

 

こういう名乗りは間髪をおかずなすべしと、分かったような顔をしてエッセイで書いた記憶が

蘇った。

 

2016年ないし2017年という年号を付した俳句年鑑がつぎつぎと発行されている。

参加した年鑑には、上記の句を発表している。

掲載句を決めたのは夏前後であるが、作者である私もけっこう気に入っている(よう)。

 

(夕刻には、来年4月発行の「年鑑」に1句載せろとお願い便を受け取った。

年鑑代金や月刊誌の年間予約振込票同封で。)

 

昨夜、岡山県北部は大雪だったよう。

 

その画像受信より早く、宅配便があり、

新俳誌創刊号が30部ほど送られてきた。

朝顔や絵日記最終頁の遺書 仁平勝 花盗人
 
秋晴の拍手最終ランナーに 高橋笛美
 
銭掴み胼の手最終レース終る 杉本寛

創刊、終刊では例句なし。

 

今年の最後のダチュラの花

昨夜、参加しているネット句会の投句締め切り間際、何をしているのかと

ワイフに聞かれ、苦吟中というと、

「私も参加したい」と言い出し、代理出句(というよりはワイフのPCを私が独占使用中)。

今朝句稿が公表されたが、それを告げるとあっという間に選句完了・送信。

 

私の方はプーチン並みである。

政治的配慮が働いているわけではない。

締め切り日に仕事を開始する悪弊・悪癖が残っている。

 

金柑

近所でも何株か金柑を見るが、この家のものが一番立派で、毎年紹介している。

この家のすごいのは、全個を収穫なさっていること。

何に加工するにしても消費できないと思うが・・。

ワイフは3,4年前に作った梅酒が未だに捌けないとご機嫌が悪い。