家からは徒歩5分ほどの距離にある公民館での句会参加。
本日は第461回例会。
年に11回開催(12月第4週は会合を持ちにくいという理由で休会)
よって40年以上続いている句会である。

ず~っと第4日曜日開催であったが、最近、開催日を第4火曜日に変更した。

会場はず~と今の公民館ではなかった。
会員が市の南部に多く居住している時には阪神電車の尼崎駅に近い労働福祉会館などで開催されていた。

労働福祉会館じたいは最近解体されたようだ。

その労働福祉会館時代からこの句会に参加していたのは私一人になってしまった。

当時からの指導者はある時から家主と呼ばれ、他のメンバーは長屋の面々などと呼ばれていた、

私は鬼軍曹というあだ名が付いていた。

二次会などで次々に題を出し、出句を迫っていたからである。

次々に用紙が使われ、ついには出句短冊代わりに箸袋を分解して2句用の出句短冊として利用、句稿は使い古しの裏側を利用したりしていた。

よってショウちゃんが居る句会は箸袋句会などと揶揄されたりした。

本日の席題は「文言」

最高点句は2句とも席題句だった。

変体仮名の文言読み解く半夏生

中途半端な文言並べ夏ごもり


2句とも私も特選、入選でいただいた。

私の出句は

DVに無縁な文言風知草


画像は向日葵

矮性になると、「冬知らず」とか「ジニア」とか呼称が変わるものが多いなか、
向日葵には呼称変化はない。姿かたちに変化がないからであろう。

以下はウィキペディアの「ひまわり」の項の、「歴史」の部分の引用。

ヒマワリの原産地は北アメリカ大陸西部であると考えられている。既に紀元前からインディアンの食用作物として重要な位置を占めていた。1510年スペイン人がヒマワリの種を持ち帰り、マドリード植物園で栽培を開始した。マドリード植物園はダリアコスモスが最初に栽培されたことでも有名である。

ヒマワリがスペイン国外に持ち出されるまで100年近くを要し、ようやく17世紀に至りフランス、次にロシアに伝わった。ロシアに到達してはじめて、その種子に大きな価値が認められた。
正教会大斎の40日間は食物品目の制限による(ものいみ)を行う。19世紀の初期にはほとんど全ての油脂食品が禁止食品のリストに載っていた。しかしヒマワリは教会の法学者に知られていなかったのか、そのリストにはなかったのである。こうした事情から、正教徒の多いロシア人たちは教会法と矛盾なく食用可能なヒマワリ種子を常食としたのであった。そして、19世紀半ばには民衆に普及し、ロシアが食用ヒマワリ生産の世界の先進国となったのであった。

日本には17世紀に伝来している。

ひまわりはオランダ船に乗って日本へ到来したようだ。