JR美作土居駅に関するウィキさんの解説:

作土居駅(みまさかどいえき)は、岡山県美作市土居にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)姫新線である。

当駅から津山方面は岡山支社の管轄となる(隣の上月駅より姫路方面は神戸支社姫路鉄道部が管轄しており、県境をまたぐ万ノ峠トンネルの姫路方出入口付近に境界標が立っている。しかし、津山方面から来る大半の列車は上月駅から一つ先の佐用駅まで運行される)。




一日の乗客は1999年で70人、2014年で30人。(乗降客数はこの2倍)15年間に6割減少した。

1936年営業開始とのこと。私の母は隣の駅美作江見駅から徒歩圏内で生まれ、12歳で大阪へ修行に出た。和服専門学校で7年修行し、通常より早く「免許皆伝」、三越の仕事をやっていた。
(縁は異なもの! 当時「専門学校」なる制度があったかどうかは別にして、私の就職先の、同一部署の一年先輩の同僚の母が、私の母と同級生であったことが分かった。)

ということは、母が里から大阪へ出た時に利用した交通機関はJR姫新線ではなかったらしい。

亡くなった父方従兄の話では、私の父方祖母は遠出の時は、近所の同姓の人を雇って、山陽本線の上郡駅まで人力車で行っていたとか、その時の支払いが50銭、帰りも迎えを頼み往復1円支払っていたとか。(どうやって迎えを頼むのであろう。行きの下輪時に、帰りは明日の何時何分着の汽車を利用すると言っておくのであろうか)

卒業証書だったか資格認定証書だったか、探してみたが見つからなかった。
代りに見つけた写真

↑日付は写真を写真に撮った日(今日)であって、この人々が集った日ではない。
私の従姉・従兄たちとその配偶者の子や孫が写っている。
撮影場所は紛れもない。背後の金木犀は今も健在。

土居宿は、佐用の平福や美作の大原宿ほど知られていない。よって観光客も来ない。


しかし宿場の東と西に惣門を持つ関所だった。

街道に面して山側と川側との間に人家が展開している。管理しやすい区域であったよう。

今は標識だけがある。

↓ここは、今でも警察の駐在所である。

持統街道くぐつの道と伝へたる 後藤綾子

獅子舞や大和に古りし長谷街道 鈴鹿野風呂

枯萱に塩の色あり浜街道 高橋圭爾

街道に孤松艶立つ冬雲雀 桂樟蹊子

よろよろと出て街道の布子婆 谷野予志

狐火や鯖街道は京を指す 加藤三七子

初時雨姫街道の石紅し 有馬朗人

街道にくだけし瓜や奈良格子 桂 信子

うど咲いて例幣使街道の古家かな 村上鬼城

例幣使街道麦笛も横切らず 平畑静塔

日光街道走り代馬逞しき 臼田亜浪

街道のうどん屋にゐる端午の日 小宮山政子

春浅き鞍馬街道貴船かな 草間時彦

遁走する菜の花 舗装の無頼街道 仁平勝 花盗人

柳生街道とかげは尾つぽ置き忘れ 大木あまり 雲の塔

街道に障子を閉めて紙一重 山口誓子

桑枯れて秩父街道晴れわたる 武田光子

街道や時雨いづかたよりとなく 中村草田男

街道をせばめて峡の出初式 砥上白峰

野水仙浜街道の風匂ふ 勝見玲子

棉の実や秩父街道土埃 新間絢子

すかんぽや鎌倉街道庭よぎり 白岩てい子

柳生街道笹原ふかくおとし角 中村翠湖

ただ一戸浦街道の鳥総松 石川[テキ]子

義経の落ちし街道しぐれけり 猪俣 壽水

秋しぐれ鯖街道をひた濡らす 木下ふみ子

街道ほたる袋に雨残り 内山亜川

街道朴散つてその北さびし 岡田 貞峰

街道い行けば雪に火の椿 橋本榮治

街道を外れ梅が香の谷戸の寺 濱田登季子

水音より明くる街道燕来る 加藤安希子

みちのくの街道細し春祭 田中由喜子

街道い行けば雪に火の椿 橋本榮治 麦生

街道に大根洗ふ大盥 富安風生

狐火にたゞ街道のあるばかり 阿波野青畝

街道や大樫垣の北おろし 村上鬼城

道赤く奥州街道秋立つも 阿部冬樹

戸明くれば東街道や冬籠り 几董

街道は奈良へ篁落葉いま 旭

町に入る飛弾街道や小六月 松本たかし

高稲架に鯖街道のうち晴るる 西村和子 かりそめならず

かきつばた鎌倉街道雨上がる 二村典子

鯛網や浜街道は山に入り 内田百間 百鬼園俳句帖

白樺街道雪の香を呼ぶ白ばんば 鳥居おさむ

渋柿や街道中に枝をたれ 蟻夢

街道の灯の明るきは秋蚕飼ふ 吉村ひさ志

蜩や杉街道を急ぐ人 岡田鱶洲

足音も鯖街道の夜長かな 榎本好宏

松に蔦街道古き羽州かな 佐藤肋骨

街道にダリヤとわれと濃くゐたり 金田咲子

柳生街道とかげは尾つぽ置き忘れ 大木あまり

街道を出でてお遍路一列に 白山晴好

標には「浪漫街道」春立てり 渡辺真映

ダム底となる街道の夕焼けたり 冨田みのる

茶の花の京街道を下校路に 宮津昭彦

余り江に麦たくましき脇街道 佐野美智

街道や磧つゞきに春深く 道芝 久保田万太郎

猪を街道松に吊し撮る 猪俣北洞

街道を遠乗つづく小春かな 会津八一

街道を桑売ひとり野蒜の花 田中冬二 行人

街道を西へ歩けば蕪引き 山本洋子

街道に咲く痩カンナ痩老婆 三橋鷹女

葉ざくら街道老婆らここに行き逢へり 三橋鷹女

街道の門火にこどもひとりいる 澁谷道

街道外れしところに花の闇 小泉八重子

街道にダリヤとわれと濃くゐたり 金田咲子

狐火や鯖街道は京を指す 加藤三七子

街道を西へ歩けば蕪引き 山本洋子

こほろぎや出羽街道に桜榾 斉藤夏風

善光寺街道の民山桜 斉藤夏風

秋風の西国街道歯ブラシ立つ 坪内稔典

手花火は鯖街道を照らすなり 大峯あきら

街道を花火の煙這ひゆけり 辻桃子

母屋より街道みえて日永かな 辻桃子

茶の花の京街道を下校路に 宮津昭彦

鯛網や濱街道は山に入り 内田百間

清明や街道の松高く立つ 桂信子 草樹

海上に街道のあり鳥賊火點け 山口誓子 不動

街道に障子を閉めて紙一重 山口誓子 一隅

駄馬つづく阿蘇街道の若葉かな 夏目漱石 明治二十九年

駄馬つづく阿蘇街道の若葉かな 夏目漱石 明治二十九年

町に入る飛騨街道や小六月 松本たかし

小鳥小屋飛騨街道も一目なり 松本たかし

早乙女や街道の砂利いたがりつつ 中村草田男

日昃るやねむる山よリ街道へ 芝不器男

代掻くと小栗街道はしり来る 阿波野青畝

街道に障子を閉めて紙一重 山口誓子

「出雲街道」の例句はないよう。

錆鮎やことばをつくす出雲びと 原裕 『出雲

はつゆめの半ばを過ぎて出雲かな 原裕 『出雲

ちちははへ出雲より出す初便り 小島花枝

仰ぎ見る大〆飾出雲さび 杉田久女

蕭々と出雲の雨や松飾 山本洋子

出雲へも来よと手紙や松の内 藤田湘子

出雲なる風土記の丘の冬雲雀 小野淳子

ぬばたまの出雲の闇を除夜詣 福田蓼汀

神集ふ出雲の詩友みな酒友 森山夕樹

神集ふ出雲七浦凪げりけり 由木みのる

神迎ふ出雲は日和つづきかな 岡本春人

麦蒔や出雲にたかき築地松 長谷川史郊

出雲路の神在月となりしかな 村山古郷

露草に出雲神楽のとどろけり 梶山千鶴子

出雲路の雲紡ぐかな曼珠沙華 吉田鴻司

高稲架を八重垣に組み出雲かな 山田幸夫

田が刈られ畔豆黄ばむ出雲崎 森田公司

稲架かけて出雲の国は湖水晴れ 竹下しづの女

出雲には佳き菓子のあり紫陽花忌 長谷川史郊

八雲立つ出雲は雷のおびたたし 角川源義

出雲への峠晴れたり初蕨 鷲谷七菜子

出雲より嫁しし日向の雲丹採女 山崎正人

鱈干していよいよ古りぬ出雲崎 小松沙陀夫

出雲崎へは抗真菌剤携えて 沙羅冬笛





本陣跡の標識以外植田風


しいさんとやまぐちさん以外の顔をあまりみない兵庫8区の住民に、
ひらぬまさんはそこが岡山であることを教えてくれる。