岡山県西粟倉村は、そこに私からみて「はとこ」の子が住職をしている岩倉寺があるというだけでしばしば訪れるところである。

私の母方の曽祖父母が住職さんと同じという関係である。母方祖母と前の住職がいとこであったという関係である。

西粟倉村の清流。


吉野川の源流のひとつである。西粟倉村の鳥取県境若杉渓谷に源流がある上梅里川の流れが吉野川に名を変えたばかりの流れである。

↓右手は無料の鳥取道。峠を越えれば鳥取県である。西粟倉インターの次のインターは智頭南である。
どういうわけか「いかりスーパー」が智頭にもできたようで、
このあたりでもスーパーいかりは有名である。

水量が圧倒的というほどではないが、あちらこちらから谷水が暗渠を通じて迸るように合流してくる。


岩倉寺で前の住職さんのお墓を初めて見た。
たまたまなくなった日にお寺にお邪魔した。7年前のことであることを確認。


権大僧正となっている。近くでみる墓所等では、住職さんの墓は一般の墓よりかなり豪華になっている。僧の階級はたいてい権小僧正など「小」が一般的なのに大僧正なのに驚く。
前の住職は敗戦の年になくなっているから、60年以上この寺を守られたことになる。


↑奥の院
墓地は奥の院と講堂との間にあるが、かなりの高低差がある。よってワイフと一緒の場合は、講堂へは車で移動する。
その道がまた怖い。


西粟倉村観光ガイド:
南北朝時代、正平年間(1346年~1370年)に赤松氏と山名氏との争いによって焼失したと言われ、一度再建された。元亀年間(1570年~1573年)に再び焼失し、現在のものは、天正年間(1573年~1592年)に再建されたものと言われている。 2月の第2土曜日には岡山県でも今は珍しくなった裸祭があり、そんな以外の男たちが神木を奪い合う様子は圧巻で西粟倉の冬の名物となっています。


現在300有余年ぶりに、鋭意再建中である。あとは本堂のみとなった。「そんな以外」はもちろん「村内外」の誤植である。

一番下に本堂。建築中。


僧正切株僧正日永かな 龍岡晋

くわりんあり鳥羽僧正の絵巻あり 後藤夜半

紅葉かつ散る鳥羽僧正の縁に座し 小林康治 『叢林』

萩供養僧正さまは顔煤け 岸田稚魚 『萩供養』

柿吊るや鳥羽僧正の結界に(栂尾) 飴山實 『次の花』

長き夜を鳥羽僧正とあそびけり 白岩 三郎

緋ごろもの何僧正や歌かるた 静雲

その後の鳥獣に鳥羽僧正忌 鈴木栄子

階段に雨くる鳥羽の僧正忌 夏井いつき

僧正が鮎の姿を賞味せり 筑紫磐井 婆伽梵

萩供養僧正さまは顔煤け 岸田稚魚

鳥羽僧正秋草好みたまひける 文挟夫佐恵

はらからに僧正二人さくら咲く 柿本多映

僧正に艾の燃ゆる花の昼 柿本多映

王、僧正、騎士、この雄々しさを落としつ 加藤郁乎

僧正が野糞遊ばす日傘哉 一茶 ■文化元年甲子(四十二歳)

鳥羽僧正忌なる風船かづらかな 有馬朗人 耳順

僧正が谷をすべれば余寒なり 野童 芭蕉庵小文庫

僧正の青きひとへや若楓 榎本其角

↑高野槙