今年、市制100周年を迎えます

阪神電車「尼崎」駅前
駅ビルを北側へ出れば、駅前広場ではなく、中央公園である。

この名からして一時期は、ここが尼崎市の中心部分であったのであろう。
どこにあったのか知らないが、市役所も駅の近くにあったはずである。

現在の市役所は橘通りに面して立っており、最寄り駅はJR立花駅であるが徒歩10分以上かかるのではないか。

というより市役所の現在地は、1916年に市になった時には、まだ隣接する立花村であったはず。

復習;

立花村:
  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、塚口村・東富松村・七松村・尾浜村・三反田村・水堂村・大西村・栗山村・上ノ島村・東難波村・西難波村(飛地を除く)・竹谷新田(飛地)の区域をもって発足。
  • 1916年大正6年)4月1日 - 大字東難波・西難波が尼崎町と合併して尼崎市が発足。
  • 1942年昭和17年)2月11日 - 尼崎市に編入。同日立花村廃止。

現在の市役所は、上記の中の、七松村に位置するはず。

現在町名は東七松町

かつての尼崎の中心部分らしく、
中央公園内には各種モニュメントがあり、
今では多くくなった木立に隠れてよく見えないものもある。

尼崎市がかって鉄鋼の町であった名残り。↑の奥。↓

見ようと思わない限り、通行人からは見えない。異様な鉄像である。

日本赤十字社の前身、博愛社が尼崎藩から起こったことを示すもの

駅前の噴水のタワーは、代表的な待ち合わせスポットである。

謡曲芦刈(山)記念碑↑

↑ジェーン台風、室戸台風時の水没水位を示している。
同じものが、駅の南側広場にもある。

沼杉の気根隆々梅雨に入る

蛍追う老々介護の合間には
俳句大会出句作品
案外こういった平凡な句が高点になる。

元の句は
幼な妻のごとく燥いで蛍の夜

実は明日の夜の先取り。大谷川の蛍はまだ飛んでいるか?