市の俳句協会の機関誌の編集を引き受けて8年。
毎年1回発行・配布する「会報」の編集を、配布する日の3日前から開始してなんとか間に合わせた。

昨年の俳句大会の最高点句は

水馬雲の筏を乗りまわし

という句であった。昨年の大会作品の鑑賞文を書こうと思って、まずはこの句に注目。

水馬が浮いている水に映る何かを、実態とみなす句はないかと、いつもの「俳句検索」にあたってみた。


力溜めをりしがついと水馬 嶋田一歩

水馬鳳凰堂をゆるがせる 飴山 實

水馬水に跳ねて水鉄の如し 村上鬼城

水馬流され水輪流されし 倉田 紘文

匕首を研ぐ一日雨や水馬 小島ノブヨシ

水馬怠けて流れゐたりけり 細川加賀 『玉虫』

暮がての光りに増えし水馬 阿部みどり女 『陽炎』

打ちあけしあとの淋しさ水馬 阿部みどり女 『笹鳴』

流れなきところをながれ水馬 大木あまり 雲の塔

湧き水にぶつかりあひて水馬 金元喜代子

水馬流るゝ黄楊の花を追ふ 高野素十

水馬とんで離れて爭はず 村上辰良

針金の脚ふんばつて水馬 土生重次

水馬はじきとばして水堅し 橋本鶏二

うち水にはねて幽かや水馬 飯田蛇笏

行く雲のひとひらに乗り水馬 深沢暁子

水馬の影水底にありにけり 吉江八千代

水馬思ひ思ひの輪を重ね 関 弥生

影たえず流されてゐる水馬 稲井優樹

光の輪いくつも生れて水馬 門居米子

一族にしては多過ぎ水馬 田中佳嵩枝

水馬を見にゆくと言へば笑はるる 山田みづえ

水馬松の花粉にゆきなやむ 軽部烏頭子

水馬遠ざからんとするばかり 木津柳芽

水路にも横丁ありて水馬 瀧 春一

水馬吹かれあつまる水の窪 隈元いさむ

足枷の己が影曳く水馬 嶋田一葉詩

五月雨に一つ淋しや水馬 水原秋櫻子

水玉の光の強き水馬 八木林之助

水馬ダムの放流はじまるぞ 山口速

水馬休めばすぐに流さるる 三島晩蝉

松風や道の溜りに水馬 森澄雄

水馬松の花粉にゆきなやむ 軽部烏頭子

水馬交み河骨知らん顔 松本たかし

秋風や吹き戻さるる水馬 淡路女

力溜めをりしがついと水馬 嶋田一歩

畦を塗る泥水に蝌蚪水馬 青葉三角草

啓蟄の背ナ新しき水馬 青葉三角草

花屑を渡る時あり水馬 青葉三角草

水馬大法輪を転じけり 川端茅舎

雨粒のたち来し池や水馬 岩木躑躅

論点のずれてゆくなり水馬 柴田奈美

自ら倦みあし踏み替ふる水馬 山口誓子

水馬絹より細き四肢持てる 保坂リエ

かろやかなはらわたならん水馬 亀田虎童子

ツイと飛んで見えずなりけり水馬 渋川玄耳 渋川玄耳句集

水馬そは定型に泳ぐのみ 宇多喜代子

水馬雷後の水をわたるかな 水原秋桜子

水馬目高の目玉ふまへたり 巌谷小波

滝壷に生れ死すまで水馬 鷹羽狩行

水馬踏んばつて影無くすなり 星川木葛子

夕暮や蓮の葉に飛ぶ水馬 瀾水

松風にはらはらととぶ水馬 高浜虚子

よき風を得て水馬のひと走り 岡澤康司

洗ひ場を戯れだまり水馬 荒井正隆

禅寺にかろき生得し水馬 宮津昭彦

いつからの一匹なるや水馬 右城暮石

いかにしても水を破れず水馬 西本一都

しろがねの水くろがねの水馬 西本一都

水馬よく遡る一つかな 徳永山冬子

水踏める脚の小高き水馬 八木林之介 青霞集

水馬水ひつぱつて歩きけり 上田五千石(1933-97)

水馬日に失せ水輪すすみけり 嶋田一歩

あふれ行く池の水かさや水馬 会津八一

水馬や月冷かに三の簗 会津八一

水馬浮きて静かや今朝の秋 柴田白葉女

暮がての光りに増えし水馬 阿部みどり女

打ちあけしあとの淋しさ水馬 阿部みどり女

十月の頭小さく水馬 原田喬

柱ばかりの家や身弱き水馬 栗林千津

水馬幾にはたづみ棲み捨てし 小檜山繁子

禅寺にかろき生得し水馬 宮津昭彦


滝壺に生れ死ぬまで水馬 鷹羽狩行 遠岸


水馬あとを亡父の渉り行き 鈴木六林男 国境

流れ来しものの中より水馬 稲畑汀子 汀子句集

水馬マリヤの姿乱れざる 森田峠 逆瀬川以後

水馬決して水に濡れてゐず 後藤比奈夫 花びら柚子

水馬底藻に深さはかられず 臼田亞浪 定本亜浪句集

秋風やからみかはりし水馬 永田耕衣 加古

簀の中のゆるき流れや水馬 河東碧梧桐

水馬流るゝ黄楊の花を追ふ 高野素十

水馬水に生れて花曇 高野素十

水馬走りしときの秋の風 高野素十

水あるを知らぬが如し水馬 松瀬青々

水馬青天井をりんりんと 川端茅舎

次のような文章(ごく一部のみペースト)に仕立てて、金曜日の午後完成、その他の原稿は打ち終わっていたので、すぐにコンビニでモノクロコピー印刷60部。
A4版4ページ仕立て。


水馬雲の筏を乗りまわし   とめ香

最高点になる資格をいくつか備えている。句意が平明であること。俳句的省略があるが、多くの人がその省略を埋めることができること。作者の新発見ないし創意(この句の場合だと、水面に映る雲を筏に見立てる)も無理なく納得できること。

尼崎俳句協会の会長、前田野生子さんが所属の「かつらぎ」を青畝から継承した森田峠は、逆瀬川辺りで、「水馬マリヤの姿乱れざる」と詠っている。

「行く雲のひとひらに乗り水馬」という句を 深沢暁子という人が作っているが、とめ香さんの句はさらに一ひねりして「雲の筏」と表現した。

 打水やこれぞ地球の香りなり   栄子

 打水と言えば、私はすぐに中村汀女の「俳句打水論」を思い浮かべる。「台所俳句」を何故咎めるのか、俳句で天下国家を論じるな、が汀女の主張である。栄子さんの句は天下国家を超えて、大胆に宇宙船地球号の特性を詠って見せた。幕末・維新前後に日本を訪れた多くの欧米人が打水に感嘆の語を綴っている。(環境・資源にやさしい)打水は「クールジャパン」の走りなのかも。類想句はまずないであろう。

ネット上で「打水の空に触るるよ星生る 吉沢けり男」という句を見つけたが、大胆な断定こそ俳句の本領とすれば、栄子さんの句に軍配をあげたい。

夏井先生いかがでしょう?

なお栄子さんは六月一日付けで中澤幸子に替って理事に就任、第八回大会からは賞品辞退組へ「昇格」。

 画像は野草展から