高三郎やってりゃよかった公文式

「やってりゃよかった公文式」は、CM動画では田中寅彦のセリフである。
損な役割を引き受けたのは、「やっててよかった公文式」と言う羽生善治に好意を持っていたためであろう。

出演料にこころ動いたわけではないと思う。

羽生ファンである私は、そんな役割を引き受けてくれた田中寅彦も好きである。

「序盤のエジソン」を誇っていた寅さんが、他の何人かの9段と同様、
目立たぬ存在になっているのは寂しい。


秋、美作の田園地帯を巡っていると、取り入れ前の田に大きな差があるのが、時速50㌔程度で走っていてもよくわかる。人出の足らない田は、イヌビエがのさばっている。
垂れた稲より背の高いイヌビエが目立つ田は、多分耕作者が超高齢か遠隔地居住者なのであろうと思う。

あるいは都会へ出て行った弟たちを羨む業農家であるかも。

アメリカ高三郎もイヌビエと同じような指標になる。

川べりのタカサブロウはまだ花期ではないが、ミゾソバと覇を争っている。あるいは共生している。

↑↓花の色で見分けがつくが、葉の形がちがう。↑タカサブロウ
↓ピンクの色がよく写っていないがミゾソバ。

↑ここではタカサウロウとトキワツユクサが同居。
トキワツユクサは最近知ったばかりの名。
↓遠目だが、葉からしてタカサブロウが覇権をにぎっている。

出水後のようで、スイバとギシギシの違いを記したHPを5ページ分プリントアウトして庄下川へでかけたが、多くはなぎ倒され、ごみをかぶり
近づく気がしなかった。

スイバと思っているが目下全然自信なし。

↑スイバの下には、ミゾソバが見える。

↑みたいなのもいて草むらからは数歩距離を置いて歩く。
全然動かない。咀嚼中、消化中であるためか?

根生葉と上部の葉は違う形をしているようだが、これなどスイバと思いたいのだが。

庄下川の他の植物  

マロウは野草なのか?

水に浸かったようだが、立ち直っている。

すすき原があって芦原も

「葦」で検索。堀葦男など作者名の葦と「葦牙」などの句集名中の葦を排除
最初の百句はかなり目減り

切りがの向うで鳴いて居り 児嶌すぐろ野

夕焼けて考へるそよぐ 和田祥子

刈のほのぼのと隠れかな 八木林之助

月の輪が豊原のを吹く 加藤郁乎

月光やの繁りの中も 沼尻巳津子

月の輪が豊原のを吹く 加藤郁乎

風鈴に青に青あをき穂を孕む 竹下しづの女句文集 昭和十一年

牙に立つ日入る日や故レ原ノ中国 高柳重信

瘡の子を抱き陸前のであり 高野ムツオ 鳥柱

に舫ひありしは海の船 行方克己 知音

よんどころなく枯となりゐたり 行方克己 無言劇

鳥の目をして枯を透かし見る 茨木晶子

ひしひしと冬浪寄せて枯なり 村上しゆら

月夜のが折れとる 尾崎放哉

焼く火日の没る湖を烟らせる 津田清子

刈りしあとの西方明りかな 木内彰志

や湖に沈める古き径 中 拓夫

原日の光濾し風を漉し 津田清子

や落暉の方へ潮迅し 兒玉南草

のひま鳰の浮巣を匿しけり 石川桂郎

汐さして青沈みゆく晩夏 大井雅人

比良かけて僅かの虹やの角 飴山 實

の水真澄みに杉菜涵りけり 飯田蛇笏

風にゆれ水にゆれつゝ枯るゝ 久留島 広子

舟みちのの絮とぶ日和かな 古賀 秀女

対岸の大原や行々子 田宮 良子

城沼の角ぐむの中の道 大澤 三世木

原のどこかに叛旗初しぐれ 岩間民子

ハンドルのあそびを遊ぶ 青原 沙羅冬笛

意志あれば風あり青は旅す 隈 治人

原吹かれ通しにどんな夢 篠田悦子

簾水戸街道をへだてけり 岩井久美恵

牙の水は緊張解きはじむ 松田秀一

芽の径おのづから人佇てる 原 裕

毬ひとつ流れてきたるの角 藺草慶子

タンカーに豊原の菜種梅雨 岡 あきら

塔遠し没日にひかる末黒 高橋克郎

ちりぢりに漣照るや末黒 能村登四郎

牙(あしかび)の径おのづから人佇てる 原裕 『青垣』



カラス麦が嫌にきれいだった。

紅花夕化粧↑↓ 花はこれからだと思う。