西粟倉村の句碑披きはあいにくの雨模様であった。
神事の最中も、あらかじめ祭服の上に合羽をまとっていた神職さん
雇われ神職だったらしく定年退職後、遠縁ということで引っ張り出されたようだが、
久し振りの「制服」着用ということでかなり張り切っておられた。
その合羽を吹き飛ばしそうな風が吹いていた。

飛びそうな斎主の合羽谷若葉


靑嵐はらひすつくと句碑生るる  Kさん
この句は当日主客選者の特選句で、「最優秀賞」で楯獲得

靑嵐長き祝詞を千切りさう  Tさん

ワイフも準主客選者の特選になり、楯を貰っていた。
私は俳句で賞を得たことは一度もない。ワイフは楯や賞状や色紙をわんさとため込んでいる。「お~いお茶」の空ボトルを保管しているかどうかは知らない。


紅卯つぎやまのかなたにある未来  ワイフ

私はワイフの運転手役ということで、急きょ招待客名簿の中に入れた貰った。

その前の日、西粟倉村でななかまどの花を見た。


実は何の木か分からなかった。

葉には見覚えがあった。

並木になっていた。

車を降りて、人が通りかかるのを待った。
軽トラが目の前の駐車場に入って男性が降りて来たので、声をかけた。
ななかまどであった。

ナナカマドの木は初めて見るものではない。
かつて週一で通っていたテニスコート(箕面市の浄水場)にこの木が植わっていた。
それより前、真っ赤な実をつけたナナカモド並木を通って青森空港へ向かった記憶もある。

空港のまわりには、実のなる樹は植えないということを聞いたことがあるので、ナナカモドの実を見て、
鳥はナナカモドの実には手を(口を)出さないのだろうかと思った。


ななかまどの木を教えてくれた人物は、会った場所がご自宅であった。
岩倉寺の檀家総代を勤められたこともあるそうで、たちまち自分一人で手間暇かけて
造成された広い庭を見学することになった。

↑各種のドウダンツツジを植えられていた。

しゃくなげも。

石も自分で集め、運び、配置したそうである。

ななかまどの木を知らなかった割には、他の草樹に詳しいとほめてもらった。
クチナシはなぜクチナシというかご存じかと聞かれ、
種が割れて外へ出ない(出るクチがナイ)からだと教わった。返礼に、
「満作」はなぜマンサクというかご存知かと問い返して
そのわけをお教えした。