句会参加

陸蓮根らを今や蒔かなん子と母に

一人だけが選。
1点句。
「蒔かなん」なんてなぜ文語表記にするのかなどと疑問符も。
「陸蓮根」と書いて「オクラ」と読ませることも、句会途中に質問が出て
私が答えている。
最後に本歌取りであることを説明するも
驚いたことにその本歌をだれもご存じなかった。

manapediaからの引用

憶良らは今は罷(まか)らむ子泣くらむ それその母も我を待つらむそ 
 私の暗唱しているものは「その子の母も我を待つらむ」だった。
現代語訳

この憶良はもうおいとましましょう。家では子が泣いているでしょうし、その母も私をまっているでしょうから。 

解説・鑑賞のしかた

この句は、山上憶良(やまのうえ の おくら)が詠んだものです。宴会で盛り上がって、そろそろ帰ろうとなったときに詠まれたものです。 

このとき山上憶良は60~70歳でした。60~70歳の老人が、「家で子が泣いている」、「そしてその子の母親が私の帰りを待っている」というのは現実的には考えられません。この歌は、宴会から先に帰ってしまうとみんな気を悪くしてしまうだろうからということで、とっさに思い浮かんだジョークなんですね。その点にこの歌のおもしろさがあります。

上記の歌は万葉集中、私が暗唱できる数少ない歌の一つ。
「憶良らは」の「ら」の解説をしてくれた国語の教師の名前や声音を今も鮮明に覚えている。
但し表記に自信がなかったので、「憶良」で検索。
「憶良ら」のタイトルがあったのでクリック。これに行きついた。

ヤクルト・レディからオクラの種を貰い、それを蒔いたのは事実。5粒ほどが紙包装されおり、
包装のまま鉢に蒔く(置く?)けと書いてあったので、それに従った。
8号鉢に1株だけ育てるつもりだがまだ芽吹いていない。

その他の句は

水源を守護するつもり弱草藤
楠の花咲き満ち村の滅びゆく
鍬形草早や実となりて弱気なる (「早」が兼題)

雨の公園 10日

↑この公園のランドマークといえる2本のメタセコイヤ

↑ちいさな薔薇園が見える。
↓トビカズラの牽引が見える


↓薔薇園の片隅で

雨が降ってきたので、新たにはベンチに座れない。
この人はベンチに座り続けている。
パン屑か何かを小出しにして雀にやっている。
私にとっては「大発見」だった。

その昔、まだ東の国が存在したころだから、1990年より前の事である。
西ベルリンからビザを取って、地下鉄に乗って東ベルリンへ行った。
東ベルリンの公園で雀に餌をやったら、雀がわんさとやってきてまとわりついてきた。
パンをちぎる指先にまで食いついてくるのである。
日本では経験したことがないことであった。
日本の雀は警戒心が強く、人の傍には決して近づかなかった。
(東は貧しく、雀にやるパンなどだれも用意できなかったからか)

最近では、庄下川沿いの鳩はいやに馴れ馴れしい(ずうずうしい)と思うようになったが、
それでも手で触れようとするとすばやく逃げてゆく。

雀はさらに警戒心が強い。

しかし公園のこの人とはなじみなのか、
雀は指先からまだ離れないパンを取りに群がっているのである。

もう焼き鳥にされる心配はないと親から教わったのであろうか。
雀の習性も何世代かの間に変化するのを確認した。


今日見た薔薇

↑門の横の柵に絡まる薔薇。
広い庭をお持ちであったが、1階を自宅にして、2階以上をマンションとして貸し出して居られる。その分庭は狭くなったと思うが、それでも丁寧に管理なさっている。
一度声をかけて庭にいれてもらったことがある。

門扉の上へカメラを上げて中を撮影

夜中に鋏持って薔薇を刈りに来る人もいるとか。

雀と違って、夜は門扉を閉じる必要があるようだ。
人心も進化していると思うので、最近はそんな人(夜中に薔薇を盗みにくる人)もいなくなっていると思うが。

家から駅までの間で、薔薇を本格的に栽培なさっているのはこの家のみである。