ほぼ無人(無車)で、無料の高速道
を抜けると、寺がある。築2年目の本堂。
この寺の北側の山は寺山という。そこに城があった。赤松氏の居城の一つであった。その関係で、
赤松則村(入道円心)が使っていたという「入子椀」五組が、この寺に保存されている。宝物殿は建築計画にあるのかどうか、目下はかなり危ない保存状態である。
寺は1361年、山名氏の赤松征伐の過程で焼け落ちた。100年以上経って1493年に新免家によって五坊が再建された。しかしそれも100年たたないうちに焼失。現在残っているもっとも古い構築物は、16世紀の70年代に再建されたものである。
もちろんそれも部分修築されているが、がたがた状態であった。
いまその五堂のうちの四堂を再建中である。(奥の院はまだ築七〇年だから余り手をつけていないよう。その下の本堂は洪水かなにかで流された気配があ{推測理由は、奥の院と本堂との間に、水防ダムのようなコンクリートの構築物があるから}敷地の整地から始めて下の画像のような立派な本堂となって復活した。古図面に従っているのかどうかは知らない)。
写真・ビデオ禁止の標識がある。
裸祭りの際に、ヒーロー誕生を避けるためとか。地方局であれ、Ⅰ番争いが大々的に報じられることの予防とか。
裸祭の最中にクール宅急便
この句の舞台はこの寺である。
凍えるような行事の準備中に、激励の冷凍品が届いたという洒落であるが、作った本人だけがにやにや喜んでいる。
禅宗ではないので、山を越えた鳥取から蟹が届いてもおかしくはない。
ところで、庫裡を歩いていると、「いかり」の袋が目についた。
私以外の関西人がなにか持参した名残かと思ったら違った。
わが町の駅前に本店を構える「いかり」の支店が智頭に出店したとか。
最近、いかり店の野菜コーナーに岡山や鳥取産のものが目立つ理由が分かったような気分。
で、住職の面前で堂々と撮影。(また削除命令が届くかも)
奥の院 築70年。
庫裡や本堂からでもかなり高度差がある。
寺じたいも高台にある。寺の東側の山の中を、智頭急行のトンネルが通っている。
寺の境内から見下ろした西粟倉村の風景
庫裡も新築なったが、礼拝堂はこれからである。築何年か聞き洩らしたが、かなりの痛みようである。ひょっとして四〇〇年?
右手に禊場?がある。
を抜けると、寺がある。築2年目の本堂。
この寺の北側の山は寺山という。そこに城があった。赤松氏の居城の一つであった。その関係で、
赤松則村(入道円心)が使っていたという「入子椀」五組が、この寺に保存されている。宝物殿は建築計画にあるのかどうか、目下はかなり危ない保存状態である。
寺は1361年、山名氏の赤松征伐の過程で焼け落ちた。100年以上経って1493年に新免家によって五坊が再建された。しかしそれも100年たたないうちに焼失。現在残っているもっとも古い構築物は、16世紀の70年代に再建されたものである。
もちろんそれも部分修築されているが、がたがた状態であった。
いまその五堂のうちの四堂を再建中である。(奥の院はまだ築七〇年だから余り手をつけていないよう。その下の本堂は洪水かなにかで流された気配があ{推測理由は、奥の院と本堂との間に、水防ダムのようなコンクリートの構築物があるから}敷地の整地から始めて下の画像のような立派な本堂となって復活した。古図面に従っているのかどうかは知らない)。
写真・ビデオ禁止の標識がある。
裸祭りの際に、ヒーロー誕生を避けるためとか。地方局であれ、Ⅰ番争いが大々的に報じられることの予防とか。
裸祭の最中にクール宅急便
この句の舞台はこの寺である。
凍えるような行事の準備中に、激励の冷凍品が届いたという洒落であるが、作った本人だけがにやにや喜んでいる。
禅宗ではないので、山を越えた鳥取から蟹が届いてもおかしくはない。
ところで、庫裡を歩いていると、「いかり」の袋が目についた。
私以外の関西人がなにか持参した名残かと思ったら違った。
わが町の駅前に本店を構える「いかり」の支店が智頭に出店したとか。
最近、いかり店の野菜コーナーに岡山や鳥取産のものが目立つ理由が分かったような気分。
で、住職の面前で堂々と撮影。(また削除命令が届くかも)
奥の院 築70年。
庫裡や本堂からでもかなり高度差がある。
寺じたいも高台にある。寺の東側の山の中を、智頭急行のトンネルが通っている。
寺の境内から見下ろした西粟倉村の風景
庫裡も新築なったが、礼拝堂はこれからである。築何年か聞き洩らしたが、かなりの痛みようである。ひょっとして四〇〇年?右手に禊場?がある。






