『阪神大震災』 
私は、当時離婚してすぐだったので、
兵庫県の実家にいました。

地震後、すぐにバルコニーから外を見ると
電車は横倒し、家の前のバス停は飛んで消え、
道路には穴があき、
段差が1m以上もついた対向車線に変わっており、
道路沿いの戸建住宅は、
ほぼすべてが斜めになっていました。

幸いにも、私の家は被害は軽く、
(といっても半壊でしたが)
家族全員無事で、避難所へ行く必要もなく、
家にいることはできました。

地震直後につながっていた電話も
すぐにつながらなくなり、
停電、ガスも当然ストップし、水も出ませんでした。

あの日、どれくらい寒かったのか、覚えていません。

私達に情報はなく、
当時は携帯も持っていませんでした。
まだ、ポケットベルの時代。
友人が心配して連絡してくれたものの、
ポケベルは、番号で文字を読まなくてはいけないため、
そんなことに時間を割いている暇はなく、放置状態でした。
ラジオも乾電池が6個くらい必要で
そんなにストックはありませんでした。

その時、車のラジオがつながることを思い出し、
情報を得ました。
でも、得られた情報はほんのわずかで、
まだ震源地も特定できていない状態。
地震直後の情報は、どこまで正確か検討もつかず、
映像を見るまで信用できませんでした。

私と父は、会社はあきらめ、
とりあえず、食料の調達に出ました。
実家は、山の上だったので、車で下りました。

そのとき、初めて、どんな地震か実感しました。
路上には、毛布に包まった人たちがいて
家はぺちゃんこにつぶれ、
まるで、映画のワンシーンのような感じでした。
早朝の地震で、住宅街だったので
火事はおこらなかったのですが
昔からの古い家が多い場所でしたので
本当に跡形もない、というのは
このことなんだと実感しました。
その時は、車の中から見ることしか
できませんでした。

ようやく、父とコンビニへ着きました。
そこは、違うコンビニが2軒ならんでいるのですが
●ーソンは、シャッターを閉めていました。
●ァミリーマートは、バイトの女の子が、レジをあけ
電卓で計算し、商品を売ってくれました。
コンビニの中はぐちゃぐちゃで
床に転がっている商品に、皆が群がって
あさっている状態でした。
それでも、なんとか最低限の食料と生活雑貨を
手に入れて帰宅しました。

帰宅したのは、昼過ぎでした。
その頃には、電気は復旧していました。
なぜか電気にはあまり被害はなかったようです。
そして、テレビをつけました。
阪神高速が倒れていました。

その日の記憶は、そこからはありません。
その日もどうすごしたのか・・・。

たしか、水道とガスの復旧には時間がかかり、
風呂には、入れませんでした。
何週間後かに、
近隣のゴルフ場が風呂を開放してくれて
やっと入ることができました。

援助物資もほとんど届かず、
逆に、充分にあるものが
援助物資として届いたと思います・・・。

『関西で地震はない』と思い込んでいたので
今まで無頓着だった災害への予防、
いざというときの準備などするようになりました。
できることは完璧にしておいて、きちんと備える。
でも、こういうものに明確なルールがあるわけでもなく
いまだに充分とは言えません。

昨年の東日本大震災で、
さらに震災の恐ろしさを知りました。

強く感じたのは、
やはり、「天災にはかなわない」ということ。
世の中、絶対なんて「死ぬこと」くらいじゃないかって。
温暖化や資源の問題が起こっているけど
地球の歴史からすれば
人間が生存している時代なんて
ほんのわずかな時間
なわけだし、
環境破壊が進めば、
地球も怒って天災が起こるのも
当たり前なのかもしれない
、と・・・

だから災害に備えない、というわけじゃなくて、
ましてや、17年前の震災や
今回の震災で被害にあった方々に対して
「仕方ない」なんて思いません。

ただ、最近テレビやラジオで
震災が起こって何年です、とか何百日です、みたいな
「震災の日」の意識の仕方に
少し違和感を感じるようになりました。
・・・うまく説明できないけど。

多分これからも
この震災の経験を生かして・・・と言い続けるだろうけど
今、何が大事で、何が必要で、何が無駄なのか、を
意識していきたいです。


そしてやっぱり、
大切な人を大切にしようと思います。
いつも愚痴ばっかり言うてるけど・・・。








ペタしてね