*このシリーズの趣旨については、プロフィールを参照して下さい。

 

H・P・ウィルモット『大いなる聖戦・第二次世界大戦全史』(国書刊行会)

訳出過程での誤訳検証を兼ねての翻訳講座。前回発した設問の解答編を御届けする。

 

前回は、以下の原文と訳文とを提示した。(文脈については、前回記事参照)。因みに、「訳文①」として掲げたのは、某大監(閑)訳者による初校段階での修正訳である。

 

原文:The Soviet armies mustered some 28,000 guns, 5,550 tanks and 4,370 aircraft to oppose the 5,360 guns, 1,115 tanks and 1,800 aircraft of the Japanese, but much greater margins of superiority were sought and achieved by a plan of campaign tailored to ensure strategic surprise.

 

訳文①:ソ連軍は火砲二万八千門、戦車五千五百五十両、航空機四千三百七十機を集結させ、スタフカは戦略レベルでの奇襲が確実となるような作戦計画を立案することによって、これらの数字が示すよりも遥かに大きな戦力上の優位を確保するように努めた

 

その上で、「原文と訳文とを対照して、訳文の中で原文の意味を正確に伝えていない個所を指摘し、修正せよ」との問を発し、「後半部分に注目せよ」とのヒントを出した。

 

(1)時には逐語訳が必要

今回新たに引いた下線部分を見れば、何が問題かは明白であろう。原著者が言いたかったのは、ソ連軍が準備した兵力・戦力が量の面で日本側を圧倒的に凌駕していたのは勿論だが、実際に戦端を開いてから重要となったのは戦略上の奇襲を達成するための事前の作戦準備であったということであり、それが接続詞のbutに込められている。原著者は更に、その作戦準備の結果として、「戦力上の優位を確保」することができたことを述べているのであり、そのことはwere sought and achievedの部分に如実に記されている。

 

ところが、監(閑)訳者の訳文では、were sought and achievedの部分を「確保するように努めた」と、まるで原文がwere soughtだけであったかのように訳している。明らかな誤訳である。

 

参考までに、小生の元の訳を以下に示す:

 

小生の元の訳:ソ連軍は火砲二万八千門、戦車五千五百五十両、航空機四千三百七十機を集結させたが、スタフカは戦略レベルでの奇襲が確実となるような作戦計画を立案することによって、これらの数字が示すよりも遥かに大きな戦力上の優位を確保するように努めたし、現実にも確保することとなる

 

微妙な差異ではあるものの、その微妙な違いが原著者の真意を伝えているか否かの分かれ目となることを銘記して訳すべきである。そのためには(何度も言わずもがなのことを言っているが)原文を読む必要がある。

 

小生の訳は原文の一字一句を忠実に反映させたものであったと考えている。

 

翻訳する際、全ての場合に於いて原文の一字一句を忠実に反映させた訳にせよと言うつもりはない。現に、これまでに、この「誤訳検証」シリーズでは、相当な意訳をした事例を紹介してきている。

 

だが、この場合は、一字一句を忠実に訳に反映させなければ、原著者が伝えたかった趣旨を伝えられないものであり、そのように訳さなければならないと小生は考える。

 

(2)全体を通底する原著者の意図を把握せよ

もう一つ指摘したいのは、この個所が第二次大戦中のソ連軍について著者(ウィルモット)が度々吐露している一つの観念を反映したものだということである。原著者は当書で、これまで一般的に受け容れられてきた「第二次大戦中のソ連軍は数で押し切った」という通説に各所で反駁しているが、これもそういった反駁の一部を構成するものだと見ることができる。こういった書物全体の論調を把握して原文を読んでいれば、「監訳」する立場にある者は、小生の訳が適確なものであることが理解できる筈であるが、遺憾にも監訳者はそういったことを等閑にした「閑訳」をしたようである。