*この「二著物語」シリーズの趣旨については、プロフィールを参照して下さい。

 

前々回「二著物語:下山事件(その1)

前回「二著物語:下山事件(その2)

 

では、他殺説の草分けとも言うべき矢田喜美雄の書の内容を紹介した。

 

このような他殺説に対する自殺説を唱える中では、

 

佐藤一『下山事件全研究』、時事通信社、1976

が、一番緻密で詳細な検証を行っている。

 

著者は、下山事件と同じ年に起きた松川事件の被告として訴追されるも、最終的に無罪判決を受け、その後下山事件の検証委員会の一員となって各方面への調査・取材を行なったという異色の経歴の持主である。当初は他殺説であったのが、調べて行く内に自殺説に傾き、その結果がこの六百頁近くの大冊である。

 

*他殺説から自殺説への流れ前半は、事件の概要、そして事件直後から九月上旬あたりまでの捜査及び事件報道の経過を辿っている。それに拠ると、七月七日に警視庁で開かれた警視庁・検察庁の合同捜査会議では、出席者の多くが他殺の印象を吐露していた(21-24頁)。それが、八月一日の特別捜査本部会議では、大半が自殺の見解を表明している(183-85頁)。この間、五反野の末広旅館に下山総裁らしき人物が立ち寄ったとの情報を切っ掛けに、メディアの中では、まず毎日新聞が自殺説へと傾き始める。それを補強する情報として、昭和十年に下山が睡眠薬で自殺を図ったことがあった事実(181頁)、下山総裁が五反野が現場である五反野周辺に土地勘があったこと(51、77頁)が明らかとなる。一方、朝日新聞は七月下旬に現場で相当な距離に渡って血痕が続いているのが同紙の矢田記者が加わった調査で発見されたことを報じ、それに色めき立った検察庁が捜査に乗り出すという一幕もあった(171頁)。

 

遺体・現場検証から浮かび上がる他殺説の問題点:佐藤書が一番力点を置いているのが、この中盤部分であり、全頁の約四割を割いている。以下、既出矢田書の内容と対比して佐藤書の分析を概説する:

[1]遺体の状態は典型的な轢断死体:轢断死体発見の報があってから遺体を最初に鑑定したのは古畑教授ではなく、東京都監察医務院監察医の八十島信之助である。その八十島監察医は、鉄道事故での死体の多くには生活反応が見られないのが普通であり、下山総裁の遺体もその例に漏れないとして、自殺と判断した(207頁)。また、列車事故・自殺のような瞬時に心臓が停止するケースでは、創傷部に生活反応が見られないことが多いので、生活反応の有無で生体・死後轢断の判定は出来ない(267頁)とする。

[2]轢断死体に残血が少ないのは珍しくない:このことは、死後轢断説を出した古畑教授自身も自著の中で述べていたことであり(265頁)、鉄道事故で死亡した事例の統計値からも窺われ、大正年間の統計では出血皆無・僅微が全体の75%を占めている(264頁)。一方、下山総裁の遺体の場合には、遺体の中で肺臓には血液が多かったことが報告され(241頁)、機関車・列車に付着していた血液は結構な量に登っている(243-46頁)。つまり、事前の「血抜き」以外でも遺体の血液量が少なかったことの説明はつく。

[3]pH法の結果は不確実:遺体の乳酸値は遺体の性別・年齢、死亡時の健康状態・疲労度・死因、外気の気温・湿度など様々な要因によって変わり易く、専門家の殆どは、この方法で死後経過時間を断定するのは難しいと考えており、佐藤書が書かれた時期では最早使用されていないほどであった(252-53頁)。

[4]着衣に付着した油は機関車のもの:蒸気機関車に轢断された場合、機関車から流れ出る油のために、遺体は普通油まみれになる(326-28頁)。現場で見付かった下山総裁の衣類は、寸断されていた状態で見付かっており、上着は轢断の最初の段階で剥ぎ取られたために、余り油が付かなかったと推定される(344-45頁)。下山総裁の遺体・衣服に付着していた油は黒褐色で、機関車で使われた油には典型的に見られるもの(348頁)。他殺説では、付着していた油は植物油であったとなっているが、当時、機関車用には鉱物油だけでなく植物油も多く使用されており、それらを分離して分析することは当時の技術ではできなかった(353頁)。

[5]右靴の損傷と右足の皮下出血は一致:現場で下手人が慌てて下山総裁の遺体に上着を着せたと他殺説は推論するが、下着が油塗れの遺体に上着を着せるという困難な作業(374頁)をする時間があった一方、靴を履かせられなかったというのは苦しい論法。一方、右靴の損傷部位と、右足に見られる皮下出血の位置は一致していて、靴を履いたままの状態で車輪に轢かれたものと思われる(409頁)

[6]“血の道”は古いもの:事件当夜は、轢断が起きたとされる以前から雨が降ってはいたものの、翌朝の現場検証の際には、下山総裁のものと思しき結構な数の血痕が見付かっている。“血の道”のようなものがあったら、その際に発見されていた可能性が高いが、その折には報告されていない(419頁)。更に、雨の洗礼を受けなかったロープ小屋の中の血痕については、仮に事件当日に付けられていたものだったら、もっと鮮明な形で残っていて、現場検証の際に見付かった筈である(430頁)。加えて、「血を抜かれて殺された」とする他殺説が正しいとするならば、このように長距離にわたって下山総裁の遺体から血が滴り落ちるなど有り得ないことになり、矛盾する(172、412-13頁)。

 

<「その4」に続く>