*当シリーズの趣旨については、プロフィールを参照して下さい。

 

“長谷川宣以”という姓名を見て、名前の部分を「のぶため」と読める人は、相当の歴史通か、池波正太郎の『鬼平犯科帳』の主人公である長谷川平蔵のファンかのどちらかであろう。宣以は平蔵の諱(いみな)である(『寛政重修諸家譜』に振り仮名が振ってある)。

 

平蔵は先祖が徳川秀忠に仕えた旗本の庶家に延享二~三(1745~46)年に生まれた。幼名は銕(てつ)三郎。[注:生年が明確でないのは、『寛政重修諸家譜』に没年(寛政七[1795]年)と没年齢(五十歳)しか記されていないため、そこから逆算したものだからである]

 

テレビのドラマで中村吉右衛門が「火盗改長谷川平蔵である!」と大見得を切って悪人の追捕にあたるシーン

を記憶している人も多いかもしれない。“鬼平”という俗称からは、現代で言うならば強行犯係の班長や特捜部長のようなイメージを髣髴させる。そういった側面も無いではないが、長谷川宣以には刑事行政の分野で時代を先取りした業績があったことを幾つかの書は強調している。

 

瀧川政次郎『長谷川平蔵・その生涯と人足寄場』、朝日新聞社、1975

は、平蔵の生涯を概観すると共に、平蔵が就いた火付盗賊改という職掌の起源と職分を明らかにし、更に、平蔵の最大の功績である石川島人足寄場の設立が平蔵の主導でなされた経緯と、その歴史的意義を詳述している。法制史が専門の法学博士で、極東国際軍事裁判(東京裁判)で弁護団の一人に名を連ねた著者らしい専門知識に基く解説・分析は非常に明快である。以下、当書の内容を要約する形で、平蔵の生涯を追う:

 

長谷川家の財政状況:旗本は広大な敷地に立つ拝領屋敷に住むのが通例で、表向きはその一部であろうとも他人に貸し出すことは禁じられていたが、幕府は貧乏旗本救済の便法として一部の貸し出しを黙認していた。平蔵の父の宣雄は、この措置をフルに活用して地代収入を得ていたため、長谷川家の家計は比較的裕福であった(47-48頁)。理財の才は平蔵にも受け継がれ、平蔵が銭相場で一儲けしたことは史料から明らかである(122-24頁)。このようにして築き挙げた財政基盤は、平蔵が火付盗賊改や人足寄場取扱の職務をまっとうする際に大いに役に立った。

 

火付盗賊改の制度史:天明三(1783)年の浅間山大噴火などによる天候不順によって惹き起こされた天明の大飢饉によって、各地で一揆・暴動が発生し、江戸市中でも打ち毀しが頻発する。天明六(1786)年当時、幕府御先手弓頭であった平蔵は翌年から火付盗賊改となる。平蔵の父である宣雄も就任したことがあったこのポストは、江戸時代初期には事件が起きる度に臨時に設けられた役職であったが、当時既に常設のものとなっていた。著者(瀧川)は、このような火付盗賊改設置の経緯を平安朝時代に令外官として設けられた検非違使が常設の役職となったことに比肩している(69頁)。平蔵はこの職に八年間留まる。

 

目明・岡引の利用:平蔵の指揮の下、火付盗賊改は神道徳次郎や大松五郎といった大物の盗賊を検挙していくが、それには、公には禁じられていた目明・岡引といった今で言うならば“情報屋”を巧みに使っていたことが大きな要因であったと著者(瀧川)は推論する(79-81頁)。

 

奉行所との管轄問題:本来、刑事・民事事件の審理は奉行所の管轄であり、火付盗賊改は容疑者を検挙したら奉行所に身柄を引き渡すのが通例であったが、その内に火付盗賊改自らが牢や御白洲を設けて事件の審理・断罪にあたるようになり、重複管轄となっていた。そのために、両者の間で軋轢・対立がしばしば起きていたようである。また、裁判審理に通暁していた奉行所と比較して、火付盗賊改の審理は単純・苛烈なものが多く、誤判が絶えなかったと言う(82-89頁)。

 

平蔵と人足寄場:囚人の更正・教化、出所後の就職対策のために設けられた人足寄場は、西洋や中国の制度の模倣ではなく、日本で独自に生まれた制度である(200-01頁)。この施設の創設に主導的役割を果したことこそ平蔵の最も大きな歴史上の功績であると著者(瀧川)は言う。ただ、発案者が平蔵であったか、時の老中の松平定信であったかについては諸説あるとし、著者自身は「定信の工夫と発意によって作られた」として上で、「それを如何に具体化するについて建議し、又実際にその建設を担当したのが平蔵であった」(96頁)と結論付けている。

 

・“遠山の金さん”との繋がり:平蔵の死後、本所深川にあった平蔵の屋敷(現在の行政区分では江東区菊川町三丁目十六番地)に移り住んできたのは、俗に“遠山の金さん”として知られる遠山左衛門尉景元であった。平蔵は役職に就く以前は市井に入り浸って下情に通じていたと言われるが、同じように若い頃は遊び人のような生活を送っていたとされる“金さん”が同じ場所に住んでいたとは妙な偶然である。(50-52頁)

 

<その2に続く>