*当シリーズの趣旨については、プロフィールを参照して下さい。
前々回及び前回の
で取り上げた舟橋・永井両名の書の共通点と言えば、お市の二人目の夫である柴田勝家を後半部分の脇役と位置付けていて、話の大部分を浅井長政との結婚・夫婦生活・別離に割いている点であろう。これに対し、
鈴木輝一郎『お市の方・戦国の凰(おおとり)』、講談社文庫、2011年
は、柴田勝家を準主役とも言うべき地位に置いて話を展開させている点で、ユニークな小説である。
戦国の女性の例に漏れず、その前半生が詳らかでない分、想像を逞しくして前半部分の話を進め、後半は史実に沿った流れにするという手法は見事である。ここで描かれている“鈴木お市”はかなり奔放な性格である。
若干違和感を覚えたのは、秀吉の描き方である。若干のネタばれをすると、忍びの術を心得たような体育会系男子のような人物となっており、現実の秀吉像との乖離が甚だしい印象を受けた。
これまで紹介した三書と全く趣を異にするのが、
中島道子『それからのお市の方・北ノ庄落城異聞』、新人物往来社、1994年
であり、題名から想像がつくであろうが、お市は実際は北ノ庄城が落ちた際に勝家と運命を共にしておらず、密かに脱出したという設定で話が進んでいく。
冒頭と終りで著者(中島)が説明しているが、イエズス会宣教師のルイス・フロイスの書簡に、北ノ庄落城の折に城門に老女が出てきて、勝家・お市夫妻が自害した模様を詳しく物語ったといいう事実が記されている。これは、実際は逃げおおせたお市が死んだように印象付けるための隠蔽工作であったと推理しているのである(7頁)。そして、伊勢阿山郡には、同地でお市が慶長四(1599)年に53歳で没したとの伝承があるとのことである(235頁)。
しかし、この話の主人公はお市の方ではなく、お市を匿う浅井家の旧臣である。秀吉に引き取られた三人の娘の行末を見届けたいがために生き延びたお市の方の潜伏先を秘匿しようとする旧臣と、潜伏先を秀吉に伝えようとする者達とのせめぎ合いが物語の中核で、誰が味方で誰が敵かが分からない話の展開は、ミステリー小説の一種とも言える。
史書の記述や地方の伝承に基いて「このような以前このシリーズの「二著物語・皇妹和宮」で紹介した有吉佐和子『和宮様御留』と似たような側面があり、読みものとしては面白いが、当書に於いても、“その後”のお市が歴史の流れに何の影響も与えなかったように描かれていることに鑑みれば、史学には益なしと言えそうである。
今回取り上げた四書の共通点と言えば、お市の方が秀吉を嫌っていたということであり、その理由は、小谷落城時にお市の方と浅井長政の長男である万福丸が脱出しようとした時に、それを捕えて処刑に立ち会ったのが秀吉であったためであったとする。
*未解明の問題:
だが、事実関係で異なった見解を示している点もあり、「細かいことが気になる悪い癖」を持つ筆者(山本)として、以下を指摘したい:
①お市の方と長政との間に生まれた子は何人か?万福丸はお市の子か?これについては、以下のように四書が異なった見解を提示している:
・舟橋:三姉妹(お茶々、お初、お江)、万福丸の四人の他に万菊丸という男子がいて合計五人。全てお市の子。
・永井:五人ということでは舟橋書と同じだが、万菊丸のみ“お蘭”という名の側室の子だとし、万福丸はお市の子で、三姉妹の長女であるお茶々の次に生まれたとする。
・鈴木:万福丸はお市が嫁ぐ前に長政と側室との間に生まれた子で、長政の子の中では一番年長で、三姉妹より年上。万菊丸は登場せず。
中島:お市の方が産んだのは“一男三女”であるとするも、その一男の名は明示せず。
②お市が勝家と再婚することを勧めたのは誰か?
・舟橋:勝家自身
・永井:秀吉に対抗するために勝家の助力を得ようとした織田信孝(信長の三男)
・鈴木:明確ではないが、秀吉が勧めたような筆致。
・中島:信孝の策略
③お茶々(淀君)は父母どちらに似ていたか?
・舟橋:父親(浅井長政)似
・永井:母親(お市)似
・鈴木:父親似
・中島:記述無し
こういった諸点、史書でも明確に記したものがなく、見解が別れているようである。これからの研究成果によって明らかにされることが期待される。