*当シリーズの趣旨については、プロフィールを参照して下さい。

 

今年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』では、井本彩花が演じるお市の方戦国の“悲劇のヒロイン”として知られる女性である。

 

織田信長の妹(一説には従姉妹)で、北近江の大名浅井長政に政略結婚で嫁ぐも、織田と浅井が断交したことで、兄と夫との抗争の狭間に置かれる羽目に。浅井が滅亡した折には三人の娘と共に落城寸前の小谷城から出され、その後暫くは信長の異母兄である信包に預けられて日々を送るのも束の間。本能寺の変で信長が殺され、織田家中の後継者争いの最中に柴田勝家に嫁ぐ。賎ヶ岳の戦いで勝家が羽柴(後の豊臣)秀吉に敗れると、勝家の居城である越前の北の庄城から三人の娘を秀吉の許に送り出し、自らは最後の一戦を臨まんとする勝家に殉じて波乱の生涯を終える・・・。

 

死の直前は三十代後半であったが、二十代と言っても通るぐらいの若さと美貌を保っていたという。今で言ったら“美魔女”と言ったところであろうか?

 

舟橋聖一『お市御寮人』、講談社、1996

は、1963年に新潮社から出版されたものが、三十年以上も後に再び刊行されたものである。

 

当時の歴史解釈に沿った内容である。織田家の政戦略の道具として使われ、嫁いだ男に従順に従う受動的なお市像が描かれている点を始めとして、

 

・今川義元や朝倉義景を公家かぶれした旧時代を代表する武将であると形容し(51、266頁)、

・女は一度嫁げば婚家の人間になるとの見方を披露し(45頁)、

・天正2年の正月の宴で、浅井長政と久政(長政の父)と朝倉義景三名の髑髏を箔濃(漆塗りにした上に金箔をまぶす)にして酒の肴に供したことを“戦国惨酷物語”と呼ぶ(248-51頁)

 

といった点に、当時の通説が顕われている。

 

今日までの学界での研究の進捗状況を知っている者から見れば、物足りないものを感じるであろうが、当時の読者は、こういった諸点は十分に納得したことであり、この小説の難点としてこれらを論うつもりは毛頭ない。

 

歴史小説として違和感を覚えるのは、信長、長政、秀吉、勝家を始めとする武将達の行動が全てお市を中心として政戦略上の決断を下したような筋書きである。まるで、お市が“傾城”であるかのような印象を読者に与えている。賎ヶ岳の戦いを前にして秀吉が「お市どのは、戴いたも、同じだ」が内心でつぶやいている場面(391頁)などは、その最たるものである。

 

恐らく、このような“舟橋お市”像を意識して、そのアンチ・テーゼとして書かれたと思われるのが、

 

永井路子『流星―お市の方』上・下、文春文庫、1982

である。史学界の動向・新発見を踏まえた上で、女性としての視点で物語を展開させている。

 

<その2に続く>