*当シリーズの趣旨については、プロフィールを参照して下さい。

 

ウィルモット『大いなる聖戦・第二次世界大戦全史』(国書刊行会)

の訳出過程での誤訳検証を続ける。

 

前回は、以下の原文、及び、その中の下線部分を監訳者が小生の元の訳を修正した後の初校段階での訳を提示した。以下の通りである:

 

原文:This campaign only deepened Hitler’s disdain and contempt for the officer corps and served to exaggerate the structural weaknesses within the military establishment that Hitler had devised in order to neutralise a ‘politically reactionary’ army and ensure his own power of decision in military matters. After December 1941 Hitler combined the roles of head of state, executive, judiciary, party, armed forces and the army, and without the ability to trust competent subordinates sufficiently to delegate authority and without a cabinet system to plan, implement and supervise policy and to coordinate the various aspects of statecraft, Hitler’s direction of the German war effort became increasingly arbitrary and erratic with the passing of time.(*冒頭のThis campaignは、一九四一年冬に東部戦線でソ連軍が反撃に転じた後の、ドイツ軍の一時的な防勢作戦を指す)

 

初校(監訳者修正後):具体的には、一九四一年十二月にヒトラーが国家元首及び行政・司法・党・軍・陸軍の長としての権能を併せ持つこととなった。その際ヒトラーは、その任に堪え得るような部下に権限を委譲するまでには部下を信頼することができず、政策の立案・実行・監視にあたり国家機構の諸側面を調整するための内閣機構のようなものも設けなかったがために、ヒトラーによるドイツの戦争指導は時が経つと共に恣意的で一貫性を欠く色彩を強めていったことである。(*冒頭の「具体的には」という部分は、小生[山本]が、文意をはっきりさせるために付け加えたものである

 

その上で、訳の中の問題点を指摘せよとの設問を発し、ヒントとして、

 

下線を引いていない前段部分を含めて考えてみよ。

②原文と訳文とを比較して、文章の区切り方が相違する部分に留意せよ。

 

という二点を出しておいた。

 

前回指摘したように、上記の訳文だけを読んでみれば、何ら問題がないように感じるであろう。だが、下線部分の前段となる部分を含めてみたらどうであろう。以下に、前段を含めた訳文を掲げる。注意すべき箇所に下線を引いた(黄色で示した部分が前段):

 

前段部分を含めた初校訳冬期作戦を通じて、作戦指導にあたる将校連に対するヒトラーの不信・侮蔑の念は強まる一方であり、このために「政治的反動性向を持つ」陸軍の影響力を矯めて軍事事項での自身の決定権限を確保すべくヒトラーが作り上げた軍指導組織の機構上の脆弱性が増幅されることとなる。具体的には、一九四一年十二月にヒトラーが国家元首及び行政・司法・党・軍・陸軍の長としての権能を併せ持つこととなった。その際ヒトラーは、その任に堪え得るような部下に権限を委譲するまでには部下を信頼することができず、政策の立案・実行・監視にあたり国家機構の諸側面を調整するための内閣機構のようなものも設けなかったがために、ヒトラーによるドイツの戦争指導は時が経つと共に恣意的で一貫性を欠く色彩を強めていったことである

 

今回は、読んで違和感を感じた読者が多かったのではなかろうか?以下に、その違和感の原因を説明する。

 

「具体的には・・・」で始まる一文は、「機構上の脆弱性」を詳述したものであり、その内容は「国家元首及び行政・司法・党・軍・陸軍の長としての権能を併せ持つ」ことだけではなく、それに続く「・・・ことである」で終る文をも含むものである。故に、上述のように区切ると、「機構上の脆弱性」の内容が原文を反映していないし、「・・・ことである」がという文の締め括り方が不自然なものに感じられることとなる。

 

誤訳とまでは言い切れないものの、不適訳の一例とは言えようか?

 

因みに、小生の元の訳は以下の通りである。相違する箇所に下線を引いた:

 

小生の元の訳冬期作戦を通じて、作戦指導にあたる将校連に対するヒトラーの不信・侮蔑の念は強まる一方であり、このために「政治的反動性向を持つ」陸軍の影響力を矯めて軍事事項での自身の決定権限を確保すべくヒトラーが作り上げた軍指導組織の機構上の脆弱性が増幅されることとなる。具体的には、一九四一年十二月にヒトラーが国家元首及び行政・司法・党・軍・陸軍の長としての権能を併せ持つこととなったが、その際ヒトラーは、その任に堪え得るような部下に権限を委譲するまでには部下を信頼することができず、政策の立案・実行・監視にあたり国家機構の諸側面を調整するための内閣機構のようなものも設けなかったがために、ヒトラーによるドイツの戦争指導は時が経つと共に恣意的で一貫性を欠く色彩を強めていったことである。」

 

接続助詞の「が」は話題提示の機能も持つので、これでも誤りとは言えないが、読み返してみて他の訳出方法もあるかと考え、小生は初校を読んだ後で、下線部分を各々「・・・となり」「ヒトラー」と修正することを提案した。

 

教訓:原文が長いからといって、矢鱈滅多ら切断するのは考えものである。前後の脈絡・文脈を考えてなすこと。