*当シリーズの趣旨については、プロフィールを参照して下さい。

 

前回は、ウィルモット『大いなる聖戦・第二次世界大戦全史』(国書刊行会)の訳出過程で出て来た

 

Demise of German Power

 

なる見出しを取り上げ

 

監訳者が小生の元の訳を修正して付した

 

ドイツの国力低下

 

なる訳が不適訳どころか誤訳といっても良い旨の判定を下した上で、

 

如何なる理由でそのように判定できるか

 

どのような訳にしたら良いか

 

との問いを発した。それに続けて、

 

(1)核となる単語の意味をしっかりと把握せよ

 

(2)見出しが包摂する部分の内容を十分に理解せよ

 

とのヒントを出しておいたが、まず、(2)について、前回提示した原著からの抜粋部分を再録するとともに、拙訳を付す:

 

 

The Yalta agreements constituted both a tacit recognition of differences that divided the Allies and a determination not to allow these differences to deflect their attention from the task of completing Germany’s defeat. Eisenhower’s recasting of plans for the campaign east of the Rhine reflected these political realities and ensured that the final Allied offensives over this river and the Oder complemented rather than rivalled one another.(ヤルタ協定は連合国間の意見の相違を暗黙裡に認めたものであると同時に、そのような相違があったとしてもドイツを完璧に負かすという任務が疎かにされることはないという決意の表れでもある。アイゼンハワーがライン川東岸での作戦計画を修正したのは、このような政治上の現実を反映したものであり、ライン川を越えての西側連合軍の攻勢とオーデル川を渡ってのソ連軍の攻勢とが競合するものではなく相互に補完するものとなることを確実にしたものである。)

 

It was on 28 March, however, that Eisenhower issued his revised plan of campaign, and by that date six of the seven front-line Allied armies in northwest Europe were across the Rhine and on this very day effectively ripped open the common boundaries of Army Groups H and B and of Army Groups B and G.(但し、アイゼンハワーが修正された作戦計画を公にしたのは三月二十八日になってからで、この日までにヨーロッパ北西部に展開する西側連合軍の第一線兵力七個軍の中でライン川を超えたのは六個軍に上り、更にこの日には、独H軍集団とB軍集団、そしてB軍集団とG軍集団の作戦境界線を事実上分断している。)

 

With the 21st Army Group directed towards Hanover and the north German ports and the 6th Army Group to the industrial cities of southern Germany and to Austria, Eisenhower did not preclude an advance on Berlin but with the concentration of power in the centre the balance of probability was obvious . . . (アイゼンハワーは第二十一軍集団にはハノーバーとドイツ北部の港湾都市へ、第六軍集団にはドイツ南部の諸都市とオーストリアに進軍するよう指示し、ベルリンに進撃する可能性を排除しなかったものの、戦線の中央部に戦力を集中配備したことで、どちらの可能性が大きくなったかは明白であり、・・・)

 

もうお分かりであろうが、この部分は一九四五年春に西側連合軍がドイツ本土へ攻め込んで行く過程を記したもので、「ドイツの国力」などには一切触れていない。上記の様な訳を付した監訳者は、原文を読んでいなかったようである。

 

次に(1)について言えば、demiseのいう語が意味するのは「死滅」に近いものであり、「低下」ならば、decreaseやdeclineの訳となり、demiseなる語を正確に反映している訳とは思われない

 

監(閑)訳者は、このように二重の過ちを犯して、上記のような訳を付したようである。

 

ここで、小生の元の訳を提示する:

 

断末魔のドイツ

 

としておいた。

 

若干意訳のし過ぎだったかもしれないが、監訳者の修正訳と較べれば、内容を適格に捉えていると考える。