前回は、

 

Conclusion of War ㏌ Europe

 

なる見出しとして監訳者

 

ヨーロッパにおける戦争の終結

 

という訳をしていたことに疑義を呈し、如何なる訳にしたら良いかを問い、この見出しが包摂する箇所から幾つか文章を抜粋しておいた。以下に、それらを再録すると共に、拙訳を付す:

 

①Excluding the Soviet offensive that resulted in the clearing of the Baltic states and Soviet operations in Hungary, the last seven months of the European war witnessed a series of Allied offensives—and largely irrelevant German counter-offensives—that form a coherent whole because the war had come to assume a singleness as it swept over Germany’s borders.(バルト諸国の制圧に繋がったソ連軍の攻勢 と、ハンガリーでソ連軍が実施した諸作戦を除けば、ヨーロッパ戦の最後の七ヶ月間に展開されたのは、全体として一纏まりとなる連合国陣営による一連の攻勢と、それらとは概ね関連性を持たないドイツ軍の反撃作戦である。連合軍の諸攻勢を一纏まりとして扱うのは、連合軍がドイツ領内になだれ込むに連れて各戦線毎の区分が失われていき、戦争が単体としての性質を帯びるようになったからである)

 

②In Italy the 15th Army Group failed in its attempt to break the Gothic Line in a series of attacks between 25 August and 20 October even though its armies were able to overcome the main German defensive positions, but while a British offensive in December secured Ravenna a decisive result in Italy had to await the spring when events on the Winter Line in May 1944 repeated themselves on the approaches to Bologna.(イタリアでは、第十五集団軍隷下の諸軍がゴシック・ライン上のドイツ側主要防御拠点を制圧することはできたものの、同ラインを突破しようとして一九四四年八月二十五日から十月二十日にかけて行った一連の攻勢は失敗に終る。十二月に英軍が実施した攻勢によってラヴェンナは確保したが、イタリア戦線で決定的な戦果が上がるのには、春になってボローニャへと進撃していく過程で、一九四四年五月にウィンター・ラインをめぐる攻防で起きた事態が繰り返されるまで待たなければならなかった。)

 

③Allied forces entered Verona on 25 April, Genoa on the twenty-seventh, Padua and Venice on the twenty-ninth and Turin, Milan and Trieste on 2 May, the first and last of these straddling the assassination of Mussolini by communist partisans on 28 April, the surrender of German forces in Italy on 29 April (effective on 2 May) and the capitulation of the fascist Ligurian Army on the thirtieth.(連合軍は四月二十五日にヴェローナに、二十七日にジェノアに、二十九日にパドゥアとヴェネチアに入城し、五月二日にはトリノとミラノとトリエステに入ったが、その間には、四月二十八日の共産党系パルチザンによるムッソリーニの処刑、翌二十九日の在イタリアドイツ軍の降伏(五月二日発効)、三十日のファシスト系リグリア軍の降伏といった出来事が起きている。)

 

①だけを読んだならば、監訳者の訳で良いような印象を受けるであろう。だが、②と③を読めば、この部分の主題が第二次大戦中のイタリア戦線の末期の推移を記述しているものであることが明白である。

 

そして、決定的なのは、これに続く箇所の冒頭部分が、

 

The German surrender in Italy was the first in the series of capitulations

that brought the European war to an end in mid-spring 1945, . . .(イタリアのドイツ軍の降伏は、一九四五年春にヨーロッパ戦を終結に導く一連の降伏劇の最初のものである)との一文で始まっていることで、これを見ても、小生がこの見出しを

 

イタリア戦線の終結

 

と訳したのが妥当なものであったことが分かる。小生は、わざわざそこに「この424頁の見出し部分、原書ではConclusion of War in Europeとなっているが、以下の内容から判断して、このようにした方が良いと思考する」と赤字でコメントを付しておいたのだが、何故か監訳者はそれを全く無視して上記のような全く芸の無い訳をしていたのである。

 

推測するに、この見出しは原著者が何かの手違いで小生の訳のようにする所を間違えたのではなかろうか?

 

原著に誤りと思われるものがあったことは、以前にも指摘しておいた(「ウィルモット『第二次世界大戦全史』訳出過程誤訳検証(9):原著の誤り(問)」及び「ウィルモット『第二次世界大戦全史』訳出過程誤訳検証(9):原著の誤り(答)」参照)が、このような傾向が原著にあることを念頭に入れて訳していき、更には、前後の脈絡を考えて読者が目次などを見た時に違和感を覚えないような訳にすることも「監訳」をする際の心がけであろう。