前回の解答。なお、文脈などについては前回の記事を参考にしていただきたい。
まず、①原文と照合してみておかしなところはどこか?との設問への答え。
原文と再校段階での監訳者の訳文とを再び提示し、問題となる部分をハイライトする。なお、それとは別に原文に下線を付した箇所もあるが、それについては後に別途論ずる。つまり、おかしなところは二つあったのである:
原文:why it was, if the Manstein counter-offensive at Kharkov in February 1943 was so successful, that Army Group South was unable to repeat its feat between August 1943 and March 1944 when it was called upon to fight the same type of battle—and for part of the time over the very same terrain—as it had fought in the immediate aftermath of the Stalingrad defeat.
監訳者再校版訳:「マンシュタイン元帥が一九四三年二月に行ったハリコフ反攻作戦が大成功であったように、一九四三年八月から翌年三月までの期間に同様な戦いを挑むことを迫られた南方軍集団が、スターリングラード戦直後と同じような状況で正に同じ土地での戦いであったにもかかわらず、その成功を再現できなかったのはなぜか」
次の設問への答に移る。
②どのようにおかしいであろうか?
問題は、ifの訳し方にある。「もし」「仮に」といった訳が普通であり、そういった言葉を使わないまでも、その意味合いを込めた訳文にする必要がある。
だが、この訳文では「・・・ように」となっている。これでは、到底ifの意味合いを反映しているとは言えない。
何故このような誤訳をしたのであろうか?
推測でしか言えないが、まず、いつもの如く監訳者が原文を読んでいなかったことが考えられる。次に考えられるのは、恐らくは、以下の小生の元の訳を原文を読まずに吟味した際に、文末まで十分読まなかったことである:
小生の元の訳:「マンシュタインが一九四三年二月に行ったハリコフ反攻作戦が大成功であったとして、一九四三年八月から翌年三月までの期間に同様な戦いを挑むことを迫られた南方軍集団が、スターリングラード戦直後と同じような時期に正に同じ土地での戦いであったのに、その成功を再現できなかったのは何故か」
ifの訳としてどちらが妥当かは明白であろう。
それでも、「・・・ように」と訳して全体として意味が通っているのならば問題はないであろう。だが、「・・・大成功であったように」としたならば、今一つの「大成功」の事例が次に取り上げられることを読者は予想するであろうが、そうはなっておらず、実際には「成功を再現できなかった」となっているのだから、文意が全く通じていないのである。
更に、もっと大きな文脈をここで問題にしたい。
著者のウィルモットが一貫して著書の中で主張しているのが、東部戦線でのドイツ軍の戦闘態様がこれまで西側の史家によって肯定的に評価され過ぎているという点である。
この前の章で著者は、以下のように分析している(以下は小生の訳。それに続けて原文を提示しておく):
「一九四二年から翌年にかけての冬期に起きた出来事をスターリングラード戦と、それに続くコーカサスからのA軍集団の脱出、チル川下流域での戦闘、ハリコフでの反撃と言ったドイツ側が収めた戦術上の戦果を視座の中心に置いて論じようとするのは、如何なるものであろうとも、それらの出来事の本当の意味での重要性や、作戦遂行の過程でソ連側が挙げた戦果が圧倒的なものであったという現実に目を向けていないもので、実際には、ソ連側の成果は、各所での戦術上の蹉跌や一九四三年三月のハリコフでのドイツ側の逆襲による敗北を埋め合わせて余りあるものだったのである。」(Any attempt to explain the events of the winter campaign of 1942–1943 in terms of Stalingrad and subsequent German tactical successes—the extrication of Army Group A from the Caucasus, the lower Chir operations and the Kharkov counter-offensive—fails to identify the real significance of events, the reality of overwhelming Soviet success at the operational level that more than outweighed various tactical defeats and the reverse at Kharkov in March 1943.)
著者がマンシュタインのハリコフ攻勢を「大成功」などと形容していないのは、この一節を読んだだけでも明らかであり、このことが念頭にあれば、上述のような誤訳はしなかった筈である。
「木」(単語、節)だけではなく「森」(文章、段落)を、そして、「森」だけではなく「山」(著述全体の論調)をも見て訳すことを心掛けたいものである。
なお、原文で下線を付したfor part of the timeという一節についてであるが、上記の小生も元の訳で若干の不手際があったことは認めざるを得ない。ifの部分をより明確に訳し、for the part of the timeの箇所も改めた上で、以下はどうであろう?:
「仮にマンシュタイン元帥が一九四三年二月に行ったハリコフ反攻作戦が大成功であったと言うならば、一九四三年八月から翌年三月までの期間に同様な戦いを挑むことを迫られた南方軍集団が、一時期はスターリングラード戦直後と正に同じ土地で戦っていたにもかかわらず、その成功を再現できなかったのはなぜか」