翻訳には日本語の文法知識も重要。

 

今回はまず、小生のものか監訳者のものかを明示せずに二つの訳文を提示する。文脈は、1940年春の西部戦線で、ドイツ軍の攻勢の前にフランス軍が崩壊していく中で、時のフランス大統領がポール・レノーからアンリ・ペタンに交代した折に、ペタンが閣内の抗戦派を更迭してドイツとの講和に動き出した時の出来事を記述したものである。

 

<甲>「ドイツ軍の勢いを止めるものが何も無かったのは事実であるが、ペタンがレノーの跡を継いだ直後に執った措置、ペタンが反英感情を有していたの周知の事実であり、北アフリカでフランスが戦争を継続する企図など有り得ないことに太鼓判を押すものであった。」

 

<乙>「ドイツ軍の勢いを止めるものが何も無かったのは事実であるが、ペタンがレノーの跡を継いだ直後に執った措置、ペタンが反英感情を有していたの周知の事実であったことも相俟って、北アフリカでフランスが戦争を継続する企図など有り得ないことに太鼓判を押すものであった。」

 

まともな日本語の読解力がある人ならば、日本語の文法の知識がなくとも、直感的に<甲>に於ける係助詞「は」の使い方に違和感を覚えるであろう。助詞は体言と述部との関わり方を規定する機能を担うが、「は」はその及ぶ範囲が広く、文末や接続助詞の直前まで及ぶのが普通である。<甲>では「は」を含む文章が連続しており、率直に言って、「・・・措置は」がどこに繋がるのかが明瞭でない。

 

これに対して<乙>では、「・・・措置は」が文末の「太鼓判を押す」という述部にすんなりと繋がっているのが分かるであろう。

 

<甲>が監訳者の修正版、<乙>が小生の元の訳である。

 

因みに、原文は以下の通りである。問題となっている箇所に下線を引く:

 

While nothing could stem the German onslaught, Pétain’s initial actions after taking over from Reynaud, combined with his known antipathy towards Britain, ensured that France would not attempt to continue the war from North Africa.

 

ここでも、「・・・措置は」に対応するPétain’s initial actionsという主部の動詞が「太鼓判を押す」に相当するensuredであることが明白である。

 

また、小生が若干頭を使ったところであるが、「相俟って」というのはcombined withの部分の訳である。これですんなりと意味が通っており、初校の段階ではそのままにしていた監訳者が再校の段階でこのような修正を加えた理由は全く不明である。

 

翻訳というと、外国語の知識・読解力がものを言うと考える向きがあるかもしれないが、実際には、母国語の知識や文章構成能力も、それに劣らぬ程重要である。