これまで小生が手掛けた訳本の初校を基に監訳者の誤訳・不適訳の事例を分析してきたが、これからは再校に見られた同様な事例を検討することとする。

 

中には、初校では正しく訳されていたものが、再校段階で不可解な修正を施されたものもあった。以下の原文は、その一例。原著者が1920~30年代の日本の対中政策を論じた箇所である。問題となる部分に下線を引く:

 

Tokyo was not blind to a Chinese nationalism that threatened Japanese interests and made impossible any attempt to mobilise Chinese opinion in support of those interests.

 

小生の当初の訳は以下の通り:

 

「日本の中央は、中国の民族主義が自国の権益を脅かすものであることも忘れておらず、中国の世論をそれら権益擁護のために動員することなど不可能であることは悟っていた。」

 

そして、初校の段階では以下のように修正していた:

 

「日本の指導者たちは、中国のナショナリズムが自国の権益を脅かすものであり、それ故に自らの権益擁護のために中国の世論を煽ることなど到底不可能であることを忘れていなかった。」

 

些細とは言えない修正ではあるが、どちらでも文意は通っているであろう。

 

ところが、これを監訳者は再校の段階で以下のように全く逆の意味に直していた:

 

「日本の指導者たちは、中国の世論を、日本の権益を受け入れさせる方向に煽ることが不可能なことを忘れていた。」

 

was not blindはblindでなかったこと、そして、この文脈でblindは「目に入らない」、つまりは「意識しない」ぐらいの意味で、その否定形であるから「意識しないわけではなかった」ぐらいの意味で、「忘れていなかった」と訳して間違いない。

 

以前小生は、「時には原文も疑え」と言って、いくつかの事例を紹介している(当講座9、21、22を参照)。この場合も、原著に誤りがあり、実際にはwas not blindではなくwas blindとすべき箇所だったのであろうか?

 

こういう場合には、史実や文脈に照らして判断するしかない。まず、史実に徴し見れば、日本の指導者が中国の民族主義に意を払わなかったとするのは如何にもおかしい。中国革命の父、孫文と関わりのあった日本人が結構いたことは類書に記されているし、満洲事変・日華事変の段階で中国の民族主義の強さを指摘した人士は多かった。

 

それでも、原著者がそのような考えを抱懐しておらず、「当時の日本の指導者たちは中国の民族主義の強さを忘れていた」という見解だったならば話は別である。だが、そうは思われない。

 

文脈から分析してみると、上記の引用部分の直後には以下の一文が続いている:

 

Like the warlords, Japan had no programme that could attract popular support and she hesitated to tap grass-root feelings for fear that emotion, once roused, might ultimately be turned against herself.(中国の軍閥勢力と同様に、日本は民衆の支持を取り付ける方策を欠いており、草の根レベルでの情感に根ざした運動を利用するのは、終局的にはそれが自身に刃向かってきかねないと危惧するがために、躊躇することとなったのである。)

 

もうお分かりであろう。「民族主義の強さを忘れておらず、忘れていなかったからこそ、それを利用することに躊躇していた」というように読めば、文意が容易に通じるのである。

 

どうやら、監訳者はこの部分(更には原文)を読まずに、冒頭のごく限られた部分しか読まないで、初校段階の訳が誤りだと即断したようである。

 

「木を見て森を見ざる」訳は、このようなblindなものとしか言えない誤訳に繋がることを忘れてはならない。