『傾聴活動?と言う言葉を初めて聞きました。
調べると【傾聴ボランティア】ってあるのですね。
字のごとく【耳を傾けること】。
先日、大川小学校の遺族の方からお聞きした話で
最初は???でした。
生き残ったのは、たった4人の子供。
たった1人の先生。
メディアなどから取材を受け、多くのことを聞かれたり話した子供たちはその後、元気に成長した。
グッと我慢して過ごした子供は今、引きこもり苦しんでいる、と。
震災時、普段の何気ない生活も話すことは1番大切なことだと思いました』

という文章を見かけた。

感じ方は人それぞれだろうけど、基本から捉え方が違うってこともあるんだなと思った。

要は、メディア等で自分の被災体験をがんがんしゃべってた人は元気になって前向きに現在も楽しく生きてます。
逆に話せなかった人は鬱々と引きこもりの生活を送ってます。
ってこと?

それって『話す』は関係なくない?

そもそも話せる人はもともと話せる人だったんじゃない?
話せない人はそれが原因で自分だけで抱え込むような思考の人になったんじゃなくて、そもそもそういう気質だから外にアピール(話す)することなくそのまま成長したってことじゃないの?

傾聴も震災も関係なく、そもそもの待ち合わせた気質の関係じゃないのかしら?

ベラベラと話したい人は話せばいいし、逆に何にも話したくない人は無理して話すことはない。

そこじゃなくて。
ポイントとして話すことを強要するような環境の方が私だったら引きこもるわ。

なんでもかんでも震災に絡ませる思考がまだ存在していたんだなーと思った一文でした。

つか被災体験をべらべら得意げに話す人は元気に前向きだろうがなんだろうが好きじゃない。

だからカタリべって受け付けないわー。

ニュースでみたんだけど気仙沼では高校生が語り部さん活動しているんだって。

16歳くらいの高校生だとして、震災時はいくつよ?
3歳くらい?

3歳児の体験聞いて何か参考になっちゃうその人の人生の方が引きこもってた方がいいと思うわ。