色々なことに興味を持つのは昔からでした。

 

そしてすぐに飽きます。

 

スパンは凡そ三ヶ月。

 

そしてちょっと気に入ったことは、巡り巡って戻ってきたりします。

 

クロスワードとかね、突然買って帰ったりする。

 

中でもジグソーパズルは、小さい時から身近にあって、

大人になったら無になるための道具に替わってた。

 

そんな数年前の、多分嫌な事でもあったんだろう、ある6日間のお話。

覚えてないけど。

 

 

 

 

 

 

 

羅臼港(北海道)の夜明けだそうです。

 

何日か眺めて、崩して箱にしまわれる運命。

二度目は来ない。

 

 

 

自分の長所と短所を訊かれた時、良くも悪くも熱くなり過ぎるところです、と答えるようにしています。

何事もやり過ぎてしまう。誠意と受け取ってもらえる場面もある。でも手応えがなかった時や失敗した時、手が付けられない程に落ち込んで、ぱっと手を放してしまう。それまでにやってきたことを裏切られた気分になって、通じなかった想いを持て余す。

勝手なものです。

ジグソーパズルへの仕打ちと同じ。

のめり込んで一点集中でわくわくしながら、それで完成したら興味がなくなって。

その存在すら忘れる。費やした時間も、無かったものになる。

 

今打ち込んでいること、関わっている人達。

私は永遠という言葉と共に、自分を信じることが出来ません。

いつか消えていく。それまでが幻だったかのように。

そんな想像などする必要はないのに、誰も、未来の事なんて分からないのに、どうしても考えてしまうのは、今この環境を失いたくないからです。

とても怖い。

いっそ知らないままで良かったのにと思うほどに。

 

自分は未完成で、不完全で、

必要なものが見つからないと、いつまでも足掻き続けて。

 

だけど。

 

自分を崩すことさえ出来ないのなら、

余白を無くすまで続けるしかない。

足りない欠片を探して、隙間を埋めるしかない。

 

自分は独りきりではないのだと、上を向いたことはありません。でも、

「おかえり」と、声を掛けられる人が居るのは幸せな事です。

「ただいま」と、そうして組み立つのは、自分たちが未完成だからかもしれない。

 

 

 

なんて、引っ込み癖のある友達が、ちゃんと帰って来てくれたから、

勝手に自分たちのテーマソングと決めている「ジグソーパズル」になぞってみただけ。

ジグソーパズル/Hilcrhyme

 

 

 

今日はショックなことがあったからどうしようか悩んだけど、

暗い話も私らしいと言えば私らしい。

 

ちょっとした分岐点に立っているので、ここでブログのタイトルを変更します。

どうでもいいかw

 

 

 

いつか、大きな額に飾れるような“ジグソーパズル”を、完成させたいと思います。