ハイ。今日は久しぶりに真面目ですからね。
長いですよ~。
私が高校生の頃は、英語の授業は
English Reading(読解) , English Grammar(文法)
English Composition(英作文)の三つに分かれていた。
私がいた女子校には、戦前に留学したというような
殆ど化石に近いような老齢のお婆さん先生などもまだ多くいて
平成の今、高校で普通に見られるような活発な授業など
夢のまた夢の時代だった。
質問してもほとんど無視、下手をすれば先生に敵視され
授業中を避けて研究室にまで質問しに行っても
逆切れされるのがオチ。
私の学校嫌いのルーツは、この暗黒の高校時代にある。
英語は得点源ではあったけれど、一度も好きにはなれなかった。
逆を言えば、嫌いでも時間を懸ければ誰にでも点は取れる。
なので私は生徒の
「教師が嫌いなので英語が嫌いになった。
だから点が取れない」という言い訳を信じない。
前置きが長くなった。
唯一私が大好きだった授業、それがEnglish Composition、英作文。
デモシカ先生満載の私の母校で、彼は異彩を放っていた。
今で言うアラフォーだろうか、それとももう少し若かったのか。
九州のなまりのあったその先生は、地元の大学を出た後アメリカに渡り
(一ドル360円の時代ですよ、渡航制限がなされていた時代ですよ)
中西部で何年かカウボーイをしていたという経験の持ち主だった。
授業中話がノッてくると、いかにも楽しげに懐かしげに
カウボーイ時代の話をしてくれたものだった。
彼の口癖は以下の通り。
「英作文は、書いた人の数だけ正解がある。
自分の言葉で誰かに何かを伝える。それが英作文だ。」
毎回、授業の度に出される文を英語に直し
授業の最後に先生に採点してもらう事が楽しくて仕方が無かった。
どんな英文を書いても決して0点になる事はなかった。
いつでも必ず何かしら文法の使い方とか
単語の使い方を褒めてくれて、小さな○をくれようとした。
教師用の教科書ガイドに載っている英文から一語でも違ったら全部×にするような
それだけの実力しかない人間には
あんな授業はできなかったと思う。
そして今、こうして英語を教える身となった今
その先生がどれほど研鑽を積んでいらしたかが私にはわかる。
先生と呼ばれる事に恥じない仕事をしようと思う時
私が思い出すのは、その英作文の先生
そして放送大学でお世話になった教授陣。
豊かな知識を身に着けて、そしてそれを他者に伝える。
知識を身に着けるだけでもだめ。
他者に伝えるだけでもだめ。
常に二つが同時進行であること。
今日も襟を正して仕事に向かう。
長いですよ~。
私が高校生の頃は、英語の授業は
English Reading(読解) , English Grammar(文法)
English Composition(英作文)の三つに分かれていた。
私がいた女子校には、戦前に留学したというような
殆ど化石に近いような老齢のお婆さん先生などもまだ多くいて
平成の今、高校で普通に見られるような活発な授業など
夢のまた夢の時代だった。
質問してもほとんど無視、下手をすれば先生に敵視され
授業中を避けて研究室にまで質問しに行っても
逆切れされるのがオチ。
私の学校嫌いのルーツは、この暗黒の高校時代にある。
英語は得点源ではあったけれど、一度も好きにはなれなかった。
逆を言えば、嫌いでも時間を懸ければ誰にでも点は取れる。
なので私は生徒の
「教師が嫌いなので英語が嫌いになった。
だから点が取れない」という言い訳を信じない。
前置きが長くなった。
唯一私が大好きだった授業、それがEnglish Composition、英作文。
デモシカ先生満載の私の母校で、彼は異彩を放っていた。
今で言うアラフォーだろうか、それとももう少し若かったのか。
九州のなまりのあったその先生は、地元の大学を出た後アメリカに渡り
(一ドル360円の時代ですよ、渡航制限がなされていた時代ですよ)
中西部で何年かカウボーイをしていたという経験の持ち主だった。
授業中話がノッてくると、いかにも楽しげに懐かしげに
カウボーイ時代の話をしてくれたものだった。
彼の口癖は以下の通り。
「英作文は、書いた人の数だけ正解がある。
自分の言葉で誰かに何かを伝える。それが英作文だ。」
毎回、授業の度に出される文を英語に直し
授業の最後に先生に採点してもらう事が楽しくて仕方が無かった。
どんな英文を書いても決して0点になる事はなかった。
いつでも必ず何かしら文法の使い方とか
単語の使い方を褒めてくれて、小さな○をくれようとした。
教師用の教科書ガイドに載っている英文から一語でも違ったら全部×にするような
それだけの実力しかない人間には
あんな授業はできなかったと思う。
そして今、こうして英語を教える身となった今
その先生がどれほど研鑽を積んでいらしたかが私にはわかる。
先生と呼ばれる事に恥じない仕事をしようと思う時
私が思い出すのは、その英作文の先生
そして放送大学でお世話になった教授陣。
豊かな知識を身に着けて、そしてそれを他者に伝える。
知識を身に着けるだけでもだめ。
他者に伝えるだけでもだめ。
常に二つが同時進行であること。
今日も襟を正して仕事に向かう。
