はーい。今日も暇ですよ~。
語りますよ~。



ペタしてね




某Mnetで放映されたドラマを見た。
字幕が合わずにものすごくイライラした。
見る人によっては何も感じず通り過ぎる場面でも
自分と言葉の感覚が違うだけで
とてつもなく不愉快になる。

例えば韓国語では夫婦の会話が
妻「お茶でもいれましょうか?」
夫「ああ、ブルーベリー(茶)」 
というところが
字幕では

妻「ブルーベリー茶をいれましょうか?」
夫「頼む」 になっていた時。


この妻は、夫に飲むものを自分で選ばせているのだ。
色々と細かい所にこだわる夫だから。
そしておそらくこの家庭には
ブルーベリー以外のいろいろなお茶があるはずだ。
なのに字幕ではその辺がまったく伝わらない。


もうひとつ。
アルツハイマーにかかってどんどん自分を失っていく主人公が
鏡に映った自分自身に語りかけるセリフ。

「出てきなさいよ。私、友達がいないの。
いっしょにおしゃべりしましょう」の次

「出てきて。出てきて。」と二回つぶやくセリフが
「出てきて。仲良くしましょうよ。」

「仲良くしましょうよ」ってのはどこからきた?

この字幕を作った人、もしくは字幕の責任者は
繰り返しの言葉が嫌いなようで
二回以上同じ言葉の繰り返しは
ほぼすべて違う言葉に置き換えられていた。
そんな事、ひとことも言ってないのに。

シェークスピアのリア王の最後の場面。
死につつあるリア王が叫んだ言葉。
「Never!Never!Never!Never!Never!」も
この人にかかると違う言葉に置き換えられてしまうのだろうか。
このNeverの重さが、それで伝わるのか。


私が授業中、和訳をさせる時に
最初から意訳させることは無い。
日本語と違う英語の文の構造を適当に流す事はさせたくないし
何より、その言葉を敢えて使った書き手の思いを
生徒にはわかってほしい。
最初は日本語として多少変でも直訳して
それからなめらかな日本語に変換すれば
それでよろしい。

耳触りの良い言葉に置き換えれば
それで良いと言うわけではない。
言葉にはそれ自体、書く人、しゃべる人の
想いというものがあるのだよ。

教科書ガイドをコピーしてきたみたいな
そんな訳し方はもうやめようよ。





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