某有名大教授が、放送大学学長の一喝で退散
某有名大学教授と名乗る矢吹樹氏がツイッター上で、「正式な大学ではない」などと放送大学の批判を展開し..........≪続きを読む≫
今日も語ります。
ペタ巡りのみなさま、これにて失礼。
ありがとうございました。
私の最終学歴は放送大学だ。
バカ息子2とFBで友達になり
彼の友達一覧を見たら、TK大学、TK大学
W大学、KO大学、J大学在学生ばかりでひるんだが
私の学歴は彼らには負けていないと断言する。
家事、育児、英語講師の仕事をしながら
私は自分で稼いだお金で大学を卒業したのだから。
中学三年から、今もある大手予備校Yゼミナールに通い
ひたすら大学受験のための勉強をしたが
高3の夏にまさかの一部上場企業の四年生卒女子拒否騒動。
断腸の思いで短大に進路を変更し、その後就職、結婚、出産。
子供の手が離れてきた35歳のころに
今後の生き方を考えた時
大学で勉強したいという気持ちに勝てなかった。
下の子がようやく幼稚園に入って、自由になる時間が増えたとはいえ
学費を稼ぐために就職して子供の世話をし
さらに勉強するという事は、現実的に無理だった。
その時、唯一開かれていた道は
通信講座のため授業料が比較的安価な放送大学であった。
そしてそこで私は、「勉強すること」の本当の楽しさを教えていただいた。
ビデオテープで初めて受講した授業での教授の第一声を
私は今も覚えている。
「皆さんには私の授業を批判的に聞いていただきたい。
私の論を覆すことが新たな発見につながるのです。」
何と言う自信。学問に対する何という真摯な姿勢。
それまでの学校生活の中で授業中に質問をして
先生に逆切れされた事、数知れず。
それも、授業の流れを乱すようなとんちんかんな質問ではない。
単に、先生がうまく答えられない質問をした(と、今も私は信じている)だけで
大勢の前で罵倒された嫌な思い出は一度だけではない。
「質問は?」という言葉を、授業中に聞いた事すらない。
ボロボロのノートを見ながら、何十年間もオウムのように
同じ内容を繰り返し、生徒の疑問には答えず
質問したら取りあえず覚えろとしか言わない人々。
私にとって、教育者とはそういう人たちだった。
昭和の教育シーンは、他の多くの産業と同様
ゆるいものだったのだ。
放送大学では、放送による授業とはいえ
各分野でトップクラスの教授陣の授業を取る事ができた。
中には話している内容があまりにも難解で
ビデオテープを何回も巻き戻して
やっと意味がわかるようなものもあったが
楽しくてたまらなかった。
学期末に行われる試験ですら、楽しかった。
途中、いろいろなアクシデントがあって
二年で卒業するところが倍の四年かかったが
高校卒業後、何も考えずに四年制に進むのではなく
あの時に放送大学で勉強できて本当に良かったと思っている。
次の私の目標は放送大学大学院に進むこと。
今回の問題を通して、ますますその気持ちが大きくなってきた。
それにしても学長、(*^ー゚)b グッジョブ!! です。
某有名大学教授と名乗る矢吹樹氏がツイッター上で、「正式な大学ではない」などと放送大学の批判を展開し..........≪続きを読む≫
今日も語ります。
ペタ巡りのみなさま、これにて失礼。
ありがとうございました。
私の最終学歴は放送大学だ。
バカ息子2とFBで友達になり
彼の友達一覧を見たら、TK大学、TK大学
W大学、KO大学、J大学在学生ばかりでひるんだが
私の学歴は彼らには負けていないと断言する。
家事、育児、英語講師の仕事をしながら
私は自分で稼いだお金で大学を卒業したのだから。
中学三年から、今もある大手予備校Yゼミナールに通い
ひたすら大学受験のための勉強をしたが
高3の夏にまさかの一部上場企業の四年生卒女子拒否騒動。
断腸の思いで短大に進路を変更し、その後就職、結婚、出産。
子供の手が離れてきた35歳のころに
今後の生き方を考えた時
大学で勉強したいという気持ちに勝てなかった。
下の子がようやく幼稚園に入って、自由になる時間が増えたとはいえ
学費を稼ぐために就職して子供の世話をし
さらに勉強するという事は、現実的に無理だった。
その時、唯一開かれていた道は
通信講座のため授業料が比較的安価な放送大学であった。
そしてそこで私は、「勉強すること」の本当の楽しさを教えていただいた。
ビデオテープで初めて受講した授業での教授の第一声を
私は今も覚えている。
「皆さんには私の授業を批判的に聞いていただきたい。
私の論を覆すことが新たな発見につながるのです。」
何と言う自信。学問に対する何という真摯な姿勢。
それまでの学校生活の中で授業中に質問をして
先生に逆切れされた事、数知れず。
それも、授業の流れを乱すようなとんちんかんな質問ではない。
単に、先生がうまく答えられない質問をした(と、今も私は信じている)だけで
大勢の前で罵倒された嫌な思い出は一度だけではない。
「質問は?」という言葉を、授業中に聞いた事すらない。
ボロボロのノートを見ながら、何十年間もオウムのように
同じ内容を繰り返し、生徒の疑問には答えず
質問したら取りあえず覚えろとしか言わない人々。
私にとって、教育者とはそういう人たちだった。
昭和の教育シーンは、他の多くの産業と同様
ゆるいものだったのだ。
放送大学では、放送による授業とはいえ
各分野でトップクラスの教授陣の授業を取る事ができた。
中には話している内容があまりにも難解で
ビデオテープを何回も巻き戻して
やっと意味がわかるようなものもあったが
楽しくてたまらなかった。
学期末に行われる試験ですら、楽しかった。
途中、いろいろなアクシデントがあって
二年で卒業するところが倍の四年かかったが
高校卒業後、何も考えずに四年制に進むのではなく
あの時に放送大学で勉強できて本当に良かったと思っている。
次の私の目標は放送大学大学院に進むこと。
今回の問題を通して、ますますその気持ちが大きくなってきた。
それにしても学長、(*^ー゚)b グッジョブ!! です。
