一日中雨が続く土曜日だった。
土曜日は、上の息子が
作業服を持って帰って来る日でもある。
そして今日も、私の心は
生まれ育ったあの街に飛ぶ。
実家の服飾小物を作る工場の敷地の一角に
鉄工所と呼ばれる建物があって
タカハシさんの仕事場はそこだった。
鉄工所には「ウエス」=ぼろきれが
いつも山ほど置いてあるので
家の掃除に使う時とか
学校で図工の時間にぼろきれを持っていく時などに
鉄工所にもらいに行くと
タカハシさんが、真っ黒い油だらけの手をウエスで拭いて
新しいウエスをどっさりくれたものだった。
私にとってタカハシさんは
「ウエスをくれる優しいおじさん」だった。
父は年に一度、ベルギーの見本市に新しい機械を見に行っていた。
一ドル360円に固定されていた時代に
一台一千万を超す機械が
街工場でそうそう使えるはずもなく
どうしたものかと困っていたら、タカハシさんが
「学が無いので図面は引けないが
機械を一台買って、実物を見せてくれたら
ほぼ同じものが作れます」と言うので
それからは、毎年一台だけ買って
後は、同じようなものをタカハシさんが作っていたそうだ。
そしてそれは、本物にも劣らないほどの
素晴らしい出来だったと
父は後年言っていた。
タカハシさんは、小学校を卒業してすぐ
地元の工場に口減らし(家で食事をする人間の数を減らす)ために
丁稚奉公に出され、そこで親方に
とても厳しく仕事を仕込まれたそうだ。
タカハシさんは天才職人だと思っていたが
今思えば、13歳からの厳しい日々の中で鍛え上げられた
努力の技だったのかもしれない。
タカハシさんには父も一目置いていて
いつも敬語を使っていた。
「豊かな時代を知らない」とほざく 簡単に口にする若者たちよ。
あなた方が生まれる前、日本は貧しかった。
でもみんな、夢を見ていたよ。
土曜日は、上の息子が
作業服を持って帰って来る日でもある。
そして今日も、私の心は
生まれ育ったあの街に飛ぶ。
実家の服飾小物を作る工場の敷地の一角に
鉄工所と呼ばれる建物があって
タカハシさんの仕事場はそこだった。
鉄工所には「ウエス」=ぼろきれが
いつも山ほど置いてあるので
家の掃除に使う時とか
学校で図工の時間にぼろきれを持っていく時などに
鉄工所にもらいに行くと
タカハシさんが、真っ黒い油だらけの手をウエスで拭いて
新しいウエスをどっさりくれたものだった。
私にとってタカハシさんは
「ウエスをくれる優しいおじさん」だった。
父は年に一度、ベルギーの見本市に新しい機械を見に行っていた。
一ドル360円に固定されていた時代に
一台一千万を超す機械が
街工場でそうそう使えるはずもなく
どうしたものかと困っていたら、タカハシさんが
「学が無いので図面は引けないが
機械を一台買って、実物を見せてくれたら
ほぼ同じものが作れます」と言うので
それからは、毎年一台だけ買って
後は、同じようなものをタカハシさんが作っていたそうだ。
そしてそれは、本物にも劣らないほどの
素晴らしい出来だったと
父は後年言っていた。
タカハシさんは、小学校を卒業してすぐ
地元の工場に口減らし(家で食事をする人間の数を減らす)ために
丁稚奉公に出され、そこで親方に
とても厳しく仕事を仕込まれたそうだ。
タカハシさんは天才職人だと思っていたが
今思えば、13歳からの厳しい日々の中で鍛え上げられた
努力の技だったのかもしれない。
タカハシさんには父も一目置いていて
いつも敬語を使っていた。
「豊かな時代を知らない」とほざく 簡単に口にする若者たちよ。
あなた方が生まれる前、日本は貧しかった。
でもみんな、夢を見ていたよ。

