私が育ったのは、東京の下町で
町工場がわさわさとひしめく、そんな街だった。

うちは服飾小物を作る工場で、隣は砂糖の精製工場、
そのまた隣は鋳物工場、お向かいは塗装工場
うちの裏にはお弁当の工場があった。

遊び疲れて小腹が減ると、隣のお砂糖屋さんが
精製前の三温糖をいくらでもくれたし
鋳物工場では、金属を流し込んで型を取るための粘土をもらい
塗装工場の人たちは、私の自転車を
白バイのように真白く塗ったり
消防車のように真っ赤に塗ってくれたりした。
当時まだ、小分けのお醤油やソースなどは売ってなかったので
遠足前になるとお弁当工場に行って
魚型の醤油入れを貰って使った。
そうそう、化学工場では
本の付録にする漫画のシールを山ほどもらった事もある。

母は後年、あんな工場地帯で子供を育てなければならなかったのは
痛恨の極みだと嘆いたが
私にとって、生まれ育った町は
第二次産業のテーマパークのようなものだった。




今日は土曜日。
機械工学を学ぶ上の息子が、研究室で使う作業着を
洗濯のために持って帰って来る日だ。

袋から出すと、彼の作業着からは
私が生まれ育った町のにおいがする。

機械油のにおい。

私の父が、隣のおじさんが、天才的機械職人のタカハシさんが
あの町の人々全員が
いつも漂わせていたにおい。


連綿と受け継がれるものがある。
世代を超えて、確実に伝わっていくものが。
日本の第二次産業は、最盛期からはかなり縮小したものの
それでも、先人たちが残したものは大きい。
とてつもなく。




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