夫とともに、二日間で仙台空港、石巻
気仙沼、大船渡、陸前高田、釜石を回りました。
あまりにも申し訳なくて
写真は撮れませんでした。


仙台空港近くの空き地(もしくは空き地になってしまった場所)には
海上保安庁の飛行機が流されたまま
放置されていました。

石巻では、海岸線から一歩入った学校が
○年○組という札がかかったまま
廃墟になっていました。



気仙沼では、港近くの水産加工工場の多くが
機械や装置が流された後、空っぽになっていました。

大船渡では、変わり果てた街に
「がんばっぺ大船渡」というステッカーがはってありました。

陸前高田は、5階建ての病院以外には
ほぼ建物が無く、街全体が無くなっていました。


釜石では、がれきの山の隣に建つ仮設住宅を
観音様が見守っていました。

どの町もがれきの山だらけでした。
集合名詞で言えばがれきでも
ひとつひとつを見れば
誰かが毎日磨いたであろう窓や柱
大切に使ってきたであろう家財道具
アルバムや本や制服など
人々と一緒に生きてきたものたち。

泣いてはいけないと思いました。
この地で大切なものを失い
それでも立ち上がろうとする人たちの前で
よそから見物にきただけの私の無責任な涙など
偽善でしかないのだから。


それでも、こらえきれずに何度か私は嗚咽しました。
それは、お墓が倒れたままになっているのを見た時。

去年のお盆のころは、頻繁に手入れされ、花を供えられ
お線香をたかれたであろうお墓が
震災後半年経った今も、倒れたままのものがいくつもありました。

今の生活に必死で、ご先祖のお墓まで手が回らないのか
それとも、これらのお墓を気遣う人たちすべてが
もしかしたら、亡くなってしまったのか。

あまりのむごさに、ハンドルを握る夫の横で
私は子供のように泣きました。




「ガンバレ、福島、ガンバレ東北」

震災以来、東北の皆さんと
心をひとつにしていると思っていました。

でも私は、何一つわかっていなかった。


ごめんなさい、福島、ごめんなさい、東北。


次は必ずボランティアで行きます。